WEB広報誌 かいはつグラフ2009.12 かいはつアーカイブス
石狩川治水100年
100年のあゆみ 未来へ
- 石狩川の生振(おやふる)捷水路(しょうすいろ)(石狩市)
石狩川は約60キロメートル短くなった
北海道拓殖計画のメイン事業ともいえる石狩川の治水事業が始まって60年目の1969年、砂川新水路が完成しました。石狩川では、1931年(昭和6)に初めての新水路、生振捷水路がつくられてから砂川新水路の完成までに、29箇所で新水路が整備され、原始河川の頃から比べて約60キロメートル短くなりました。
川の長さが短くなるとはどういうことでしょうか。
川の長さが短くなるとはどういうことでしょうか。
不毛の泥炭地が豊かな田畑に
石狩川の語源はアイヌ語の「イ・シカラ・ペツ」(非常に曲がりくねった川の意)ともいわれています。
曲がりくねって流れる川は、かつて大雨が降るたびに、流域のあちこちではん濫を起こしました。 河川のはん濫によって、流域には肥沃な土地ができることはよく知られていますが、石狩川では、はん濫が多く、流域には農耕には向かない湿った泥炭地が広がっていました。
北海道の開拓は、農耕地を増やすことが先決の課題でした。
そこで、新たな水路をつくり、曲がりくねった川の流れをショートカットし、川を直線化していく事業が進められたのです。川が短く、まっすぐになった分、水の流れは早く、そしてスムーズになります。
これにより流域の乾燥化が進められ、不毛の湿地や泥炭地が日本を代表する豊かな田畑地帯へと生まれ変わっていったのでした。
曲がりくねって流れる川は、かつて大雨が降るたびに、流域のあちこちではん濫を起こしました。 河川のはん濫によって、流域には肥沃な土地ができることはよく知られていますが、石狩川では、はん濫が多く、流域には農耕には向かない湿った泥炭地が広がっていました。
北海道の開拓は、農耕地を増やすことが先決の課題でした。
そこで、新たな水路をつくり、曲がりくねった川の流れをショートカットし、川を直線化していく事業が進められたのです。川が短く、まっすぐになった分、水の流れは早く、そしてスムーズになります。
これにより流域の乾燥化が進められ、不毛の湿地や泥炭地が日本を代表する豊かな田畑地帯へと生まれ変わっていったのでした。
石狩川治水100年
1910年(明治43)に始まった石狩川の治水計画は、2010年(平成22年)に100年目の大きな節目を迎えようとしています。
明治30年代に比べ、流域の耕地面積は約7倍、市街地面積は約40倍以上、約300万人が住む北海道の中心的な地域になりました。
そして、今現在も流域の暮らしの安全を守るため、河川の改修、遊水池の整備、堤防の強化など、様々な治水対策が行われています。
石狩川の流域が北海道の自主・自立の発展基盤となることは、100年前の開拓時代と変わりありません。流域の暮らしを守り、より豊かな形で次世代へと引き継いでいく。地道で着実な治水技術の積み重ねが、流域の人々の安心と豊かさにつながっていきます。
明治30年代に比べ、流域の耕地面積は約7倍、市街地面積は約40倍以上、約300万人が住む北海道の中心的な地域になりました。
そして、今現在も流域の暮らしの安全を守るため、河川の改修、遊水池の整備、堤防の強化など、様々な治水対策が行われています。
石狩川の流域が北海道の自主・自立の発展基盤となることは、100年前の開拓時代と変わりありません。流域の暮らしを守り、より豊かな形で次世代へと引き継いでいく。地道で着実な治水技術の積み重ねが、流域の人々の安心と豊かさにつながっていきます。
【石狩川流域の土地利用の変遷】
明治30年代、流域のほとんどが湿地でしたが、現在は農地が広がり、市街地も拡大しています。
明治30年代、流域のほとんどが湿地でしたが、現在は農地が広がり、市街地も拡大しています。
- 石狩川流域に残された三日月湖と水田地帯