WEB広報誌 かいはつグラフ2010.1 かいはつアーカイブス
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小樽港 斜路式ケーソン製作ヤード
港にある防波堤や岸壁は、「ケーソン」という大きなコンクリートの箱をいくつも並べてつくられていることをご存じでしょうか。
今からおよそ100年前、小樽港では初めてコンクリートケーソンを使った防波堤づくりが始まろうとしていました。
小樽港は、北海道の舟運の拠点でもあり、かつ、幌内炭坑などの石炭積出港としても重要な役割を担っていました。つまり、港湾施設の近代化が求められていたのです。
今からおよそ100年前、小樽港では初めてコンクリートケーソンを使った防波堤づくりが始まろうとしていました。
小樽港は、北海道の舟運の拠点でもあり、かつ、幌内炭坑などの石炭積出港としても重要な役割を担っていました。つまり、港湾施設の近代化が求められていたのです。
このころ、海外ではコンクリートのケーソンをつかった港湾工事の先例はあり、いずれも「浮きドック」と呼ばれる海上に浮かべた施設でケーソンを作成する方法が採られていました。
しかし、「浮きドック」を整備するには莫大な費用が必要だったのです。
当時、小樽港湾事務所の所長であった伊藤長右衛門は悩みます。
小樽港の防波堤で使用される予定のケーソンは、一番重いもので約1,200トン。長さが約12メートル、幅が11メートル、高さは約8メートルもありました。「浮きドック」を使わずに、この巨大なコンクリートを陸上で作って、海へと運ぶ方法はないか。
しかし、「浮きドック」を整備するには莫大な費用が必要だったのです。
当時、小樽港湾事務所の所長であった伊藤長右衛門は悩みます。
小樽港の防波堤で使用される予定のケーソンは、一番重いもので約1,200トン。長さが約12メートル、幅が11メートル、高さは約8メートルもありました。「浮きドック」を使わずに、この巨大なコンクリートを陸上で作って、海へと運ぶ方法はないか。
そんなある時、伊藤所長は海軍の軍艦の進水に「滑台」が使用されていることに注目します。
軍艦が大きな滑り台の上をスルスルと滑り落ちて進水する。
ケーソンも同じように「滑台」を作って、海に滑り落とせばよい。
「滑台」であれば、経費もかからず、しかも作業が簡単である。
これだと思いついた伊藤所長は、早速、恩師である東京大学の廣井教授に相談します。しかし、廣井教授の反応は慎重なものでした。
「大体よさそうだが、もう少し研究しようじゃないか。」
ところが、その1ヶ月のち、伊藤所長はケーソンを進水させるための「滑台」を完成させていました。廣井教授は教え子の実行力に驚いたといわれています。
軍艦が大きな滑り台の上をスルスルと滑り落ちて進水する。
ケーソンも同じように「滑台」を作って、海に滑り落とせばよい。
「滑台」であれば、経費もかからず、しかも作業が簡単である。
これだと思いついた伊藤所長は、早速、恩師である東京大学の廣井教授に相談します。しかし、廣井教授の反応は慎重なものでした。
「大体よさそうだが、もう少し研究しようじゃないか。」
ところが、その1ヶ月のち、伊藤所長はケーソンを進水させるための「滑台」を完成させていました。廣井教授は教え子の実行力に驚いたといわれています。
この滑台とケーソンを製作する台を併せて「斜路式ケーソン製作ヤード」と呼びます。これまで約800函のケーソンがこのヤードで製作され小樽港のみならず、石狩湾新港、留萌港などの防波堤や岸壁に使用されています。
2009年、近代港湾づくりの先駆的な役割を果たした施設として日本土木学会により選奨土木遺産に認定されました。
2009年、近代港湾づくりの先駆的な役割を果たした施設として日本土木学会により選奨土木遺産に認定されました。
伊藤長右衛門(1875年-1939年)
明治8年福井県に生まれる。東京大学の恩師であり、小樽港湾事務所の初代所長であった廣井勇教授に請われて北海道へ。自然条件の厳しい北海道で様々な困難にあいながらも、港湾建設とその技術の向上にまさに心血を注いだといわれています。
参考文献 中村廉次著「伊藤長右衛門先生伝」
明治8年福井県に生まれる。東京大学の恩師であり、小樽港湾事務所の初代所長であった廣井勇教授に請われて北海道へ。自然条件の厳しい北海道で様々な困難にあいながらも、港湾建設とその技術の向上にまさに心血を注いだといわれています。
参考文献 中村廉次著「伊藤長右衛門先生伝」