WEB広報誌 かいはつグラフ2010.2 かいはつアーカイブス
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大倉山ジャンプ競技場
1972年(昭和47)札幌オリンピックのスキージャンプ競技は、70メートル級(ノーマルヒル)の宮の森ジャンプ競技場と90メートル級(ラージヒル)の大倉山ジャンプ競技場で行われました。
大倉山ジャンプ競技場の歴史は古く、1931年(昭和6)、ジャンプ競技場建設の世界的権威と言われたノルウェー人のオラフ・ヘルセット中尉の設計に基づき、日本初の60メートル級ジャンプ場としてつくられました。国内の公式競技にも使われてきましたが、冬季のオリンピックを前に90メートル級ジャンプ場として作り替えられることになります。
改修工事は、北海道開発局の営繕事業として1968年(昭和43)に着工。
大倉山ジャンプ競技場の歴史は古く、1931年(昭和6)、ジャンプ競技場建設の世界的権威と言われたノルウェー人のオラフ・ヘルセット中尉の設計に基づき、日本初の60メートル級ジャンプ場としてつくられました。国内の公式競技にも使われてきましたが、冬季のオリンピックを前に90メートル級ジャンプ場として作り替えられることになります。
改修工事は、北海道開発局の営繕事業として1968年(昭和43)に着工。
これまでの大倉山ジャンプ競技場は、アプローチ(踏切台の前の助走路)の上部に気流の乱れがあり、必ずしもコンディションのよい競技場ではなかったと言われています。そこで、ジャンプ台を7メートル掘り下げた位置に造り直すという大改造が行われました。
1970年(昭和45)、大倉山ジャンプ競技場は、5万人の観客を収容できる世界でも有数のジャンプ競技場として生まれ変わります。
オリンピック以降も、大倉山ジャンプ競技場では世界的な公式試合が行われ、世界のトップクラスのジャンパーたちによる新たな記録が生み出されています。
1970年(昭和45)、大倉山ジャンプ競技場は、5万人の観客を収容できる世界でも有数のジャンプ競技場として生まれ変わります。
オリンピック以降も、大倉山ジャンプ競技場では世界的な公式試合が行われ、世界のトップクラスのジャンパーたちによる新たな記録が生み出されています。