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WEB広報誌 かいはつグラフ2010.3 かいはつアーカイブス

閉ざされた冬からの脱出

  • タイトル
  「雪国の人々が冬季交通の改善を真剣に議論することはごく稀である。 おそらく彼らの大部分は、積雪を人力の及ばぬ天災と観念し、 あるいは、道路除雪を経済的にはほとんど見込みのない大事業と考え、 もしくは、北国人一流の忍耐心と諦観から彼らを無口にしているのかもしれない」高橋敏五郎「雪国と冬季交通」(昭和20年)から ※1
除雪車
日本初のロータリー除雪車
 今から60年前まで北海道の冬は雪に埋もれ、人々は馬そりのほかは通行できないものとあきらめていました。
 当時、道路に降り積もった雪は人力で踏み固める、または、転圧用ローラーをトラックでひいて押し固めていました。
 路面の状況はとても自動車を運転できる状態ではなく、冬の間、自動車は車庫で眠っていたといいます。 ※2

 北海道で初めて道路除雪が行われたのは昭和20年のこと。
除雪車
除雪トラック(昭和30年代)
 進駐軍の命令で、旧日本軍が軍用飛行場の除雪に使用していたトラ ックやブルドーザを使い、札幌中心部~真駒内駐屯所、 札幌市~小樽市の道路除雪が行われたのです。
 このときの除雪延長は約55キロメートル。わずかな距離とはいえ、本格的に道路の除雪が行われたのは初めてのことでした。これによって機械を使って除雪さえすれば、冬でも自動車交通が可能だということを知らされたのでした。
除雪車
除雪トラック(現在)
 現在、北海道開発局が行う国道の除雪延長は約6,300キロメートルになります。6,300キロメートルといえば、おおよそ稚内市から鹿児島までJRで往復する距離で、地球の半径にも匹敵します。
 道路除雪が進んだ背景のひとつに、積雪寒冷地である北海道において除雪機械の研究開発が進められ、長い年月にわたった工夫と改良が加えられてきたことがあげられます。
※1 高橋敏五郎(明治36年-昭和61年)北海道内の主要幹線道路の舗装整備を主導し、特に道路の凍上対策など寒地土木開発の技術研究に画期的な成果を挙げました。また、日本初の高速道路「名神高速」の建設にも携わるなど日本の道路史に大きな足跡を残しました。
※2 昭和20年の北海道内の自動車保有台数は5,392台。

【参考文献】
  「北の道づくり」(北海道新聞社)
  「建設機械工作所70年史」(建設機械工作所)

お問合せ先

開発監理部 広報室

電話番号:011-709-2311 ファクシミリ:011-709-8995


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