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WEB広報誌 かいはつグラフ2011.1 暮らしを支えた石狩川の渡船

暮らしを支えた石狩川の渡船 川の歴史は治水と橋の歴史でもある

  • タイトル
とせん
月形渡船場(昭和5年頃)
船に乗ってお嫁にいく
里帰りももちろん船
学校に行くときも、通院も買い物も
となり町のお祭りに行くときも船

かつて石狩川とその支流には、
大小200ちかくの渡船場がありました。
とせん
新篠津村渡船場(撮影年不明)
まだ原始の姿を残していた石狩川では幾度となく洪水が繰り返されていました。また洪水の度に川の流れが変わってしまうこともあり、橋を架けることができなかったのです。
そこで、川を横断するための手段として利用されていたのが渡船でした。

渡船場は個人が経営しているもの、 町が運営しているものなど様々でしたが、 地域の人たちにとって、生活に欠かすこと のできない交通手段でした。
とせん
石狩川渡船場(撮影年不明)
昭和に入り、石狩川の治水工事が進むとともに、洪水の心配もなくなり、多くの橋が石狩川とその支流に架けられるようになります。
渡船場はその役目を終え、しだいに姿を消していきます。
とせん
電動式桟橋(石狩川渡船場)
橋が増えていった背景には、治水が進んだことと同時に架橋の技術も進んだことがあげられます。
石狩川の流域には水分の多い軟弱な地盤が広がっています。簡単に言えば、水を含んだスポンジの上に橋をつくるようなもの。

橋を架ける最後の難所といわれたのが石狩川の河口でした。日本三大大河の河口だけあって、川幅は1,500m。
地中には軟弱地盤が横たわっています。
とせん
石狩川(河口)渡船場
1972年(昭和47)、そこに当時最新の基礎工法を採用した長大橋「石狩河口橋」(1412.7m)が架けられます。

これにより 1858年(安政5)から120年間続き、石狩川の風物詩ともいわれた石狩川渡船場は1978年(昭和53)に廃止されました。

渡船が行き交う川から、多くの橋が架かる川へ。
私たちと川の関わりも、この100年で大きく変わってのでした。

明日へとつづく歩み 長大橋の架橋と石狩川最後の渡船

はし
石狩川から石狩河口橋を望む
 全長268キロメートルの石狩川には現在多くの橋が架けられています。
 北海道は積雪寒冷であるため、雪の重さの問題、川の結氷による橋脚の被害の問題などがあります。

 石狩川の下流部(新篠津村から石狩市まで)に初めて橋が架けられたのは、1920年(大正9)の石狩大橋。江別市より下流には道路橋がありませんでした。特に下流部には軟弱な地盤が広がり、橋の設計に当たっては高度な技術が要求されたのでした。

 新たに下流部に橋が作られたのは、石狩大橋の建設から待つこと約50年、1968年(昭和43)に完成した新石狩大橋でした。その後、凍害や軟弱地盤への研究、技術も進み、石狩川河口橋(右写真)、札幌大橋、美原大橋などの長大橋が架けられました。
 ところで、石狩川の最後の渡船がまだあることをご存じでしょうか。浦臼町と美唄市を結ぶ「美浦(みうら)渡船」です。
 1916年(大正5)から続く美浦渡船も美浦大橋が2011年(平成23)3月にできることから、今年でお別れです。
 いにしえの石狩川に思いをはせながら最後の渡船に乗ってみませんか。

お問合せ先

開発監理部 広報室

電話番号:011-709-2311 ファクシミリ:011-709-8995


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