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WEB広報誌 かいはつグラフ2011.1 砂浜に大規模な港を築くことはできない

砂浜に大規模な港を築くことはできない 常識を覆したのは地道な調査だった

  • タイトル
原野
勇払原野
 太平洋に面した勇払(ゆうふつ)原野の海岸そこは見渡す限りの砂浜でした。

 イワシ漁が盛んだった浜では いくどとなく港をつくろうと試みたものの、激しい潮流と波、漂砂(ひょうさ)に阻まれ、港づくりの夢は果たされることはありませんでした。

 砂地の海岸をもつ港は、いずれ砂に埋まってしまうというのが当時の常識。 ましてや太平洋の外海に面した砂浜に港をつくるのは 不可能なのか。
港
第1船を迎えた苫小牧港
 1951年(昭和26)我が国で初めての大規模堀込み港湾の建設がこの浜で始まります。 これが北日本最大の流通の拠点となる現在の苫小牧港(西港)の始まりです。

 不可能といわれた砂浜での港湾建設を可能にしたのは、 漂砂調査をはじめとする綿密かつ地道な調査や観測でした。

 漂砂の調査はラジオアイソトープ(放射性同位元素) を使うという世界的に類をみない方法で行われます。
 ガラスにアイソトープを固定して人工砂を造り、海底での移動を計測するというもの。小さな人工砂に放射線による「標識」を付けて、砂がどう動くのかを地道に追跡したのです。
港
昭和40年頃の苫小牧港
 この調査の結果から砂の動きが明らかになり、模型実験の結果とともに、砂に埋没しない港の建設が可能であることが判明しました。

 1960年(昭和35)年から本格的な堀込み工事が始まり、 7年後の1963(昭和38)、完成したばかりの石炭ふ頭(入り船ふ頭)に第1船が入港しました。

 それから約50年、苫小牧港は国内最大の内貿貨物取扱港へと成長しました。
調査
漂砂の調査
明日へとつづく歩み 私たちの暮らしを支える苫小牧港
港
 苫小牧港は国内最大の内貿貨物取扱港です。
 
 たとえば、新聞紙。
 苫小牧港から運び出される紙から日本全体で生産される新聞紙の約3分の1がまかなわれているのです。
 ほかには、自動車もあります。
 北海道で販売されるほとんどの自動車は日本各地の工場から苫小牧港を通じて北海道の販売店に運ばれます。
 
  地理的に北海道の中心都市札幌市や新千歳空港に近接していることもあり、流通拠点としての役割も大きく、苫小牧港は北海道の海の玄関として私たちの生活を支えているのです。  

お問合せ先

開発監理部 広報室

電話番号:011-709-2311 ファクシミリ:011-709-8995


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