滝野の歴史
滝野の歴史
滝野地区は、明治初期、当時の開拓使が札幌を建設するための木材生産の地としての役割から始まりました。当時の記録には、 「厚別山水車器械所」といわれる水車を使った製材のための施設があったことが記録されています。その後、農地として何度も 開拓が試みられましたが、過酷な気候などのため、昭和40年代前半には、開拓地は放棄されることとなってしまいました。
その後、滝野地区は、「アシリベツの滝」と共に札幌市民の行楽地として親しまれ、野外教育活動の拠点として子どもたちのキャンプ 活動などが行われてきました。滝野公園は、このように開拓の歴史を持つと同時に、野外教育活動の場として知られていた滝野の地に計画された公園になります。
-
所蔵:北海道大学 附属図書館 北方資料室
-
(カントリーハウス)
当時の「厚別山水車器械所」の外観イメージは、滝野公園の「カントリーハウス」の外観デザインに取り入れています。