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水田開発の歩み1

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水田開発の歩み

戦前における水田農業の展開

 明治2年に設置された開拓使は、その御雇外国人アンチセルや顧問のケプロンの北海道には稲作は不適であるとの報告や意見をもとに、畑作を主体とする農業開発を展開してきました。しかし、開拓移民の稲作に対する執着は根強く、各地で水稲栽培が小規模に試みられてきましたが、本格的に稲作奨励策が行われたのは、明治25年頃からです。
 制度的には「北海道土功組合法」が明治35年に成立し、地主や自作農が中心となって石狩川中下流域に土功組合が相次いで組織され、銀行の融資や政府の補助を受けて大規模な水田化が行われました。
 こうして、明治36年には石狩・空知で8千haであった水田は、昭和15年には83千haと戦前のピークに達しましたが、戦中、戦後の労働力と物資の不足によって昭和23年には64千haにまで減少してしまいました。

【参考文献】

  • 北海道総合開発第1次5ヶ年実施計画第1編及び同附表(北海道開発庁、昭和26年10月)
  • 北海道開発局15年小史(北海道開発局、昭和41年7月)
  • 北海道開発庁30年史(北海道開発庁、昭和56年3月)
  • 篠津地域泥炭地開発事業史(北海道開発局札幌開発建設部、昭和46年4月)
  • 第4回石狩川サミット記念・石狩川流域100年の歩み(浅田英祺・北倉公彦、平成9年11月)

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