現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 河川計画課
  3. 札幌開発建設部 治水事業
  4. 【札幌開発建設部】石狩川治水100年
  5. 【札幌開発建設部】治水100年
  6. 開拓初期:幾春別川流域-歴史のひとこま【札幌開発建設部】治水100年

開拓初期:幾春別川流域-歴史のひとこま【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 幾春別川流域 歴史のひとこま

  • タイトル

泥炭を農地にかえた研究

石狩川流域は上流から下流まで、
広い地域に泥炭が分布し、
開拓の大きなさまたげになっていた—
泥炭の標本
泥炭の標本
泥炭とは枯れた植物が十分に分解されずに堆積したもので、多量の水を含んでいるのが特徴だ。最も原形が 残った植生で構成されているのが「高位泥炭土」、高位泥炭の周辺により分解の進んだ「中位泥炭土」が、その外輪をさらに分解の進んだ「低位泥炭土」が分布する。幾春別川下流域と旧美唄川流域はひどい泥炭地で、岩見沢の北村地区は泥炭地が77%を占め、沼があったという。
  • 石狩川水系の泥炭土性面積

泥炭研究のあゆみ

北海道の泥炭研究は、明治11年に江別屯田兵村にあった札幌農学校(現・北海道大学)の校園で、土管を使った暗渠(あんきょ。地中に設置された排水路)が試されたのがはじまりといわれる。明治26年、北海道庁は開拓のために、泥炭地の排水と土地改良の試験を、札幌農学校教授で後に国際連盟事務次長も務めた新渡戸稲造(にとべいなぞう)に依頼した。新渡戸の進言で、札幌と江別の境に対雁泥炭試験地、岩見沢には幌向試験地が置かれ、研究が行われた(後に廃止)。
一方、北海道農業試験場(現・北海道農業研究センター)が明治34年に設立され、土壌の調査が大正6年から昭和48年まで行われた。この調査結果は「土性(土壌)調査報告書」としてまとめられた。
そして高位泥炭が広がる美唄に、大正8年、泥炭地試験場が設置された。ここで水田の土地改良の方法や栽培技術が開発され、泥炭地の開発事業と農業技術の発展に大きな役割を果たした。昭和63年に「水田土壌管理研究室美唄分室」に改称され、今に至っている。
泥炭地の研究がなければ、穀倉地帯は広がらなかった。
*参考資料/捷水路、新篠津村百年史、水田土壌管理研究室美唄分室
  • 北海道農業試験場土性(土壌)調査報告「石狩国泥炭地」 北海道農業試験場土性(土壌)調査報告「石狩国泥炭地」

    (北海道農業研究センター蔵)

現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 河川計画課
  3. 札幌開発建設部 治水事業
  4. 【札幌開発建設部】石狩川治水100年
  5. 【札幌開発建設部】治水100年
  6. 開拓初期:幾春別川流域-歴史のひとこま【札幌開発建設部】治水100年