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昭和35年頃:雨竜川流域-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 雨竜川流域 土地利用

  • タイトル

偶然が生んだ特産バラ

赤い実が特徴の鈴バラ
赤い実が特徴の鈴バラ

(北育ち元気村蔵・産地だより))

深川では、転作作物に花き栽培が増え、なかでもバラは特産品になった。アメリカのカリフォルニア州産「ローゼセテゲラ」という、わが国ではめずらしい品種のバラが、昭和49年から音江町豊泉地区で栽培された。52年春には札幌、東京、埼玉などに約6,000本が出荷され、深川は市の特産物に指定、栽培者の名をとって「よしの鈴バラ」にした。翌53年には「深川市特産バラ組合」が設立され、共同栽培で大量生産できる体制を整えた。6月の終わり頃に小さな花をたくさん咲かせ、秋には真っ赤な実が鈴なりにつき、生け花用に出荷される。
花き栽培はカスミ草やフリージア、スターチスなど種類も増え、雨竜川流域に広がっていった。
*参考資料/深川市史

花園頭首工の設置と撤去

大正5年、深川の水田に送る水を、石狩川右岸から自然取水する農業事業が行われた。昭和39年になると、石狩川の水をせき止めるコンクリートの堰(せき)に改築された。この花園頭首工が建設されて以降、堰がサケの石狩川上流へのそ上をさまたげた。
一方上流に昭和62年、「北空知頭首工」が完成し、花園頭首工は役割を終えた。サケのそ上が途絶えた旭川では、市民を中心にカムバックサーモン運動が行われ、石狩川は平成11年に「魚が上りやすい川づくり推進モデル河川」に認定され、花園頭首工に魚道が設置されることが決まった。しかし頭首工を全面撤去した場合、すぐ上流の国道橋(深川橋)への影響も考えられ不安が残ることから、影響のない高さを残して平成10年に撤去された。平成12年には魚道が完成し、36年ぶりにサケの遡上が確認された。それは劇的な朗報として石狩川流域全体に伝わり、その後旭川でもサケが確認された。
  • 魚道設置前の花園頭首工(上)、現在の花園頭首工(下。札幌開発建設部蔵) 魚道設置前の花園頭首工(上)、現在の花園頭首工(下。札幌開発建設部蔵)
  • 36年ぶりにそ上したサケ 36年ぶりにそ上したサケ

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