「Boys, be ambitious !」-クラーク博士が残したもの

さっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク博士の銅像の写真

体験農場を直ちに設置

若者のチャレンジ精神、そして北海道開拓魂を代表する言葉として、今も新鮮な響きを持つ「Boys, be ambitious(青年よ、大志を抱け)」。発言したのは道民の皆さんにとってはおなじみのクラーク博士です。

クラーク博士 (ウィリアム・スミス・クラーク) は、明治9年 (1876年) 9月開校した札幌農学校の初代教頭に就任します。当時、校長は開拓使の要職を担っていたため、教頭が実質的な学校のトップでした。北海道開拓のため、農業の発展は最重要課題の一つでしたが、教育者として農業を教える人材が国内に不足していたため、政府はマサチューセッツ農科大学の学長だったクラーク博士に白羽の矢を立てます。

赴任したクラーク博士は直ちに行動を開始します。真っ先に実現したのは、生徒が実際に農業を体験できる農場の設置です。農黌園(のうこうえん)と呼ばれ、後の北大農場の原型です。また、生徒の兵式訓練や入・卒業式などを行う演武場の建設も指示しました。この演武場は後の札幌時計台です。

ひとり一人と向き合って

札幌農学校の1期の卒業生は13人でした。授業はすべて英語で行われ、17歳前後の若者が黙々と植物学や英文学、化学・農学・数学、土木工学などの講義を、すべてノートに書き写すという、非常に厳しいものでした。彼らの身分は、士族の次男、三男で家督を継げないものばかり。士族の誇りを持つ一方で、急激な時代の変化に対する不安や鬱屈などがあったはずです。

そんな彼らをクラーク博士は大きな包容力を持って接し、個別の指導もいとわなかったそうです。学生たちは、当時50歳だった博士を父親のような存在として慕うようになります。

しかし、マサチューセッツ農科大学の学長職に戻らなければならなかったため、クラーク博士の滞在はわずか8カ月で終わりとなります。別れの日、生徒ひとり一人としっかりと握手をかわすと、ヒラリと馬に乗り、「Boys, be ambitious!」と叫ぶと、大地を蹴り密林の彼方へと姿を消しました。

Dr.クラークを探せ !-実は何体も

木製ベンチに座るクラーク博士の銅像の写真

北海道の大地に大きな足跡を残したクラーク博士。彼の偉業を称えて大正15年 (1926年)、北大構内に胸像が建立されました。昭和51年 (1976年) には、さっぽろ羊ヶ丘展望台に右手を挙げるポーズの全身像が登場し、観光スポットになっています。最新は平成29年 (2017年) に時計台に設置された像。木製ベンチに座るクラーク博士とツーショットが撮影できます。市内にはまだ数体が設置されています。クラーク博士を探しながら、開拓時代に思いをはせるのもまた楽しいかも知れません。