現代に明治の息吹を伝える―北海道庁赤れんが庁舎

古い白黒写真
大正時代の北海道庁赤れんが庁舎 (出典 : 北海道道路誌)

独立と進取の象徴 赤れんが庁舎

開拓使が明治15年に廃止されると、函館県・札幌県・根室県の3県が設置されます。しかし、開拓をめぐって3県と農商務省管轄の北海道事業管理局の方針の足並みがそろわず、人口が函館県に集中するなどの不均衡も生じていました。そこで19年に3県1局体制を統合し、内務省管轄の北海道庁が発足します。

明治19年着工した道庁本庁舎 (旧本庁舎、通称・赤れんが庁舎) の建設に当たり、初代長官に就任した岩村通俊は、独立と進取のシンボルとして当時米国で流行していたドーム構造を取り入れ、屋上に八角塔の設置を指示しました。

設計したのは、道庁技師の平井晴二郎です。文部省第1回留学生として米レンセラー工科大学で学んだ後、幌内鉄道の敷設に従事していましたが、32歳で道庁庁舎設計に抜擢されました。

米マサチューセッツ州議事堂がモデルとされ、ネオバロック様式のレンガ造りで、建築資材には札幌軟石など道産品が使われています。レンガは、白石村 (現・札幌市白石区) などで製造され、長手と小口を交互に積む「フランス積み」で、美しい壁面を生み出しています。

明治21年12月に完成した赤れんが庁舎ですが、28年頃に八角塔などが撤去されます。42年には火災で内部と屋根を焼失し、燃え残ったれんが壁を再利用して44年に復旧しましたが、外観はドイツ風ゴシックスタイルに変更されました。

道政の拠点から観光資源へ

昭和43年の新庁舎完成までの80年にわたり、国管轄から地方自治への流れの中で道政の拠点としての役割を果たした赤れんが庁舎は、開道百年記念で同年実施した大がかりな復原修理により、屋根を天然スレートぶきに、八角塔や換気塔、バルコニー、階段室だった南北脇玄関が復原され、明治21年の竣工時の姿に戻りました。

年間で約70万人もの観光客が訪れ、道都・札幌のシンボルとなっている赤れんが庁舎を道は、永久に保存・活用していくため、耐震改修を施し、歴史や文化、観光情報の発信拠点などとしてリニューアルを計画しています。

開拓の歴史受け継ぐ憩いの空間-北3条広場

北3条広場の写真

道庁赤れんが庁舎の東側に面する北3条広場 (愛称 : アカプラ) は、再開発に伴い平成26年7月に誕生しました。多くの市民や観光客でにぎわう空間ですが、元々は北3条通の一部でした。北3条通ができた明治の初頭、沿道には札幌農学校や官営工場が集積していました。大正13年には札幌初の舗装道路となっています。北三条広場が始まる場所には「北海道舗装道路発祥の地」という碑があります。散策の際、100年以上前の技術に思いをはせるのもまた一興ですね。