開拓期の人流・物流を支え続けて-札幌本道と札樽国道

セピア色の古い写真
札幌本道の開削現場 (明治5年)

今から140年以上前、札幌市と小樽市、函館市を結ぶ道路が開通しました。いわゆる「札幌本道」と「札樽国道」です。札幌本道は我が国最初の西洋式馬車道として、札樽国道は江戸時代に前身となる道路が作られていました。大型の重機のない時代、先人たちは道を「拓く」ことに全力を挙げました。

札幌本道 : 我が国初の西洋式馬車道

明治4年、札幌市で開拓使庁舎建設工事が本格化したことに伴い、開拓使出張所のある函館市を結ぶ道路建設が始まります。開拓使では、当時米国の農務長官だったホーレス・ケプロンらを「御用教師」として招き、ケプロンらは函館-森間と室蘭-札幌間は陸路、森-室蘭間は海路とするルートを決定します。

札幌本道は物資の大量輸送に耐える構造にする必要がありました。そこでケプロンは、砂利を敷いた「マカダム道路」と呼ばれる規格を提案し、我が国最初の西洋式馬車道が作られることになりました。道路の幅は約8間 (14.5メートル)、砂利の厚さは36センチメートルと、当時としては破格の規格でした。建設に際しては全国から人が集められますが、道なき道を開削する作業はかなり過酷で、亡くなった方も多かったそうです。北海道の大動脈を作る工事は1年余りの工期で明治6年6月に完成しました。

鉄道とバスが走った札樽国道

札樽国道は、江戸時代、箱館奉行所が整備した「札幌越新道」という道路が原型です。また、明治6年には銭函と小樽を結ぶ海岸道路が開通します。しかし、この道路は壊れやすく通行も不便だったため、10年に道路の上に線路を敷設することを前提に改修工事を行います。そして13年には北海道で初めての鉄道 (手宮-札幌間) が運行を開始します。

時は流れて昭和時代。札幌市と小樽市の急激な発展を受けて、北海道庁では札幌-小樽間の道路の抜本的な改良に着手します。9年に完了し、北海道では第1号の鉄道省営バスが苗穂-手宮間を走り始めます。

戦後に入ると、経済活動の活発化とモータリゼーションの進展により、二つの道路は改良を重ねます。平成13年には函館新道が全線開通し、札幌-小樽間も全線4車線化と高速道路が走るようになりました。明治の開拓期、大動脈として多くの人と物資の移動を支え続けてきたこれらの道路は、北海道の歴史そのものとも言えます。

古き良き時代に思いを-異次元の回廊・赤松街道

赤松街道の写真

明治7年に明治天皇の七重勧業課試験場行幸を記念して札幌本道沿いに移植されました。函館新道が開通し、札幌-函館間のアクセスは新道に役割を譲りましたが、余裕のある時はぜひ走ってみてください。赤松に囲まれた道はまるで異次元の回廊。100年以上前、この道を多くの馬車が走り、賑わっていたことに思いをはせるのもまた旅の醍醐味です。