北海道初の本格的治水事業―生振捷水路がつなぐ北海道の未来

生振捷水路の写真
人々の暮らしと産業を大きく変えた生振捷水路

石狩川は、大雪山系の石狩岳に端を発し、旭川市から石狩平野を抜けて石狩湾に注ぐ総延長268キロメートルの1級河川です。流域には北海道の総人口の半分以上の約300万人が生活しています。しかし、100年ほど前は蛇行した川が大雨で繰り返し氾濫し、命と暮らしを脅かしていました。

明治31年には大洪水によって112人の尊い人命が失われたことから、国は石狩川の治水計画を策定しました。蛇行している川の道をカットして直線的に水を流す人工水路 (捷水路) を整備し、水害の危険を抑え、湿地の排水を促進させて周辺地域を農地として利用しようというものです。

最新機械を投入し、工場や市街地ができる

石狩川で最初に整備された捷水路が、生振捷水路でした。川の河口から約9~12キロメートル上流の場所に、延長3,655メートル、幅約870メートルの水路を整備するもので、北海道初の本格的治水事業としても知られています。大正7年から工事が始まり、昭和6年の開通までに14年を要しました。

新たな水路の掘削には、最新の大型機械を使い、機械の補修や工事資材を製造する「治水工場」がつくられ、工事関係者のために商店や床屋、芝居小屋まである通称「生振治水市街地」が一事的にできたそうです。新水路のほとりには工事の安全を祈願する「香取神社」も創建されました。

生振捷水路により石狩川は14.6キロメートル短縮されました。洪水時の水位は4.5メートル下がり、洪水被害を大幅に減少させました。また平常時の水位も大きく下がり、上流の湿地帯で地下水の排水が進んだことから、石狩・空知地域の水田開発が一気に加速することになりました。

その後の捷水路事業の道しるべに

石狩川ではこの後も昭和44年まで、合計29カ所で捷水路工事が行われ、川の延長は58キロメートル短縮されています。

河口から約11キロメートル上流で、道道矢臼場札幌線と石狩川に挟まれた場所に建っている「石狩川治水発祥之地碑」は、その後、上流へと進む捷水路事業の始まりが、この場所だったことを後世に伝えています。平成14年には土木学会選奨による「土木遺産」に認定されました。

令和3年は生振捷水路完成後90周年の節目の年。捷水路によって私たち道民の暮らしが豊かなものになり、農業王国・北海道の礎としての役割を担い続けています。

年中楽しめる親水空間-捷水路が残した「茨戸川」

ワカサギの写真

石狩川では、捷水路事業が進んだ後に、本川から切り離された部分が河跡湖 (三日月湖・旧川) として今日も残っています。「生振捷水路」の完成によって誕生したのは茨戸川 (茨戸河跡湖) です。中州にはパークゴルフ場があるほか、河畔にはスパリゾートが建ち、冬はワカサギ釣りのメッカとしても知られています。アオサギが羽を休め、マコモなどの水生植物が茂る「茨戸川の世界」を楽しもうと、四季を通して多くの人々が訪れます。