人々を魅了し続けて-北海道三大名橋

豊平橋渡り初めの写真

橋は土木技術の歴史とともに

北海道の3大名橋と言われている橋、皆さんご存じですか?答えは豊平橋、旭橋、弊舞橋です。誰がいつ決めたのかは分かりませんが、これらの橋は、道内屈指の歴史を刻んでいますので、歴史的な価値、という視点で選ばれたのかも知れません。

北海道の開拓が進むに伴い、人口が増え、人と物の往来が盛んになります。橋はこれらをつなぐ非常に重要な施設。明治以降、各橋が建設されましたが、洪水により、何度も流出します。でも、そのたびに新しい技術を採用して復活しました。橋の歴史をたどることは、当時の土木技術のあゆみと技術者たちの熱意を知ることでもあります。

それぞれが個性的な魅力を発信

国道36号に架かる豊平橋が三大名橋に名を連ねたのは、大正13年 (1924年)、「土木工学の父」と呼ばれた廣井勇氏の指導で完成した橋が二連のアーチをつなぐ「ブレースト・リブ・タイド・アーチ」という革新的な構造を採用、しかも、全国で初めてこの構造を連続して設けたという、画期的な橋梁だったことが理由と思われます。竣工式には6万人の見物客が訪れたと言われ、20年以上にわたって、札幌の街並みと調和して市民を魅了し続けました。(写真は渡り初めの風景、出典 : 河合治八郎写真集)

大雪山連峰を背景に四季折々の表情を見せる旭橋は、3大名橋の中でも、昭和7年 (1932年) の架設当時の面影を残す貴重な存在です。豊平橋と同様に、二連のアーチをつなぐ構造ですが、旭橋は中央径間のアーチの長さが3倍もあり、なだらかな曲線を描く優雅でダイナミックなフォームを実現しました。旭川市のシンボルとして親しまれ「土木学会選奨土木遺産」「北海道遺産」にも選定されています。

弊舞橋は明治22年 (1889年) に、当時有料だった全道一長い木橋「愛北橋」として架けられました。その後、明治33年に架け替えられ名称も「幣舞橋」となります。現在の橋は5代目として昭和51年に建設されたものです。霧の街・釧路ならではの霧に包まれた橋影と街路灯が浮かぶ光景はとても幻想的。また、夕陽の美しさも格別で、絶好の撮影スポットとして多くのカメラマンが訪れます。

「三大」実は日本だけ ?-今、名橋を選ぶとしたら…

「三大」というランキング、よく聞きますね。「日本三大夜景」「日本三大祭り」そして「世界三大美人」等々。でもこの三大。「基本的に日本で考案されたものなので、外国人とのやりとりでは通用しない」(Wikipedia) そうです。「日本三大というのは有名なものを二つ入れて、あとの一つは地元のものを入れる」という説もあります。今回の三大名橋も、今選ぶとしたらどうなるでしょう。白鳥大橋 ? 十勝大橋 ? 喧喧諤諤 (けんけんごうごう) の議論となりそうですね (笑)