世界に向けて錨を上げよ-石狩湾新港、発展と進化の軌跡

石狩湾新港第1船入港 ブランカレィニア号の写真
昭和58年に待望の開港を迎えた石狩湾新港
セレモニーの写真

道央圏発展の玄関口として

昭和48年、札幌圏を中心とする生産物流の増大や北方圏との経済交流に対応するため、日本海の玄関口となる石狩湾に新たな港が着工しました。着工の前年には冬季オリンピック札幌大会が開催され、札幌市が国際都市に生まれ変わりました。道央圏に人と物の集積が加速し、日本海側航路の玄関口として大きな期待が寄せられる中での事業化でした。

工事は、波の高さなどを調査する「試験突堤」整備から始まりました。その後、港内の船泊を守る防波堤や、船舶が接岸する岸壁の整備が進み、着工から10年後の昭和57年8月に、待望の第一船入港を迎えました。平成に入ると、コンテナ貨物などの積み卸しをするガントリークレーン整備や、18年には多目的国際ターミナルの核となるマイナス14メートル岸壁が供用開始となります。23年には、国土交通省がLNG (液化天然ガス) 機能に係る日本海側拠点港に選定し、平成24年にはLNG船第一船が入港するなど、石狩湾新港は日本海側における物流とエネルギー供給の拠点港となりました。

令和を迎えてからも、石狩湾に洋上風力発電構想が相次いで発表されるなど、石狩湾新港は時代のニーズに対応しながら「進化」を続けています。

地元は史上最高の高揚-談・田岡前市長

開港当時、石狩町 (現・石狩市) 職員だった田岡克介前石狩市長は「第一船入港は、何もかも初めてのこと。素人だから、良く分からないことだらけです。一つ乗り越えると、次にまた問題が出てきます。考えられること全部を並べてみると、一年で本当にできるのか不安だらけでした」と思い出を語ります。

そして記念すべき日。「町は、すごい高揚感がありました。住民の方はこの日をずっと楽しみにしていました。当日は1,000人以上の人が港に押し寄せました。町内会は、石狩音頭や神輿も披露しました。町にとっては、私が知っている限り、最高の高揚感がありましたね。

あの日は気温が30度以上。とんでもなく暑い日でした。スタッフはくたくたでしたが、住民の方から数百個の冷たいスイカの差し入れがありました。私もスタッフの一員として作業の合間で、スイカにかぶりつきました。その美味しさは今でも覚えていますよ」と懐かしそうに語っていました。

前石狩市長の写真
開港当時の思い出を語る田岡克介前石狩市長
(平成29年2月撮影)
石狩湾新港の写真
物流とエネルギーの供給拠点・石狩湾新港