「新千歳」の歴史は30年ほど
北海道を代表する空の玄関口・新千歳空港。令和元年の旅客数は2,460万人に達し、国内線では国内第2位の旅客数を誇る日本を代表する空港ですが、民間専用の空港としての供用開始は昭和63年。意外と歴史は浅いです。
それまでは「千歳空港」として航空自衛隊と滑走路を供用していました。自衛隊機のスクランブル出動が増加し、その間、民間機は地上や周辺空域で待機を余儀なくされました。航空機の安全確保と航空需要の拡大に対応するため、新たに「新千歳空港」が建設されることになったのです。
再びにぎわう時を待ちながら
現在の新千歳空港の面積は726haと広大です。その中には北海道開発局が整備した滑走路やエプロンなどのほか、民間が建設したターミナルビルなどの建築施設があります。航空需要増加に対応して、さまざまな施設が整備されてきました。時系列で主な施設の供用時期を整理してみました。
昭和63年 | A滑走路3,000メートル供用 |
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平成4年 | 新千歳空港ターミナルビル完成、JR新千歳空港駅開業 |
平成8年 | B滑走路3,000メートル供用 |
平成22年 | 国際線ターミナルビル完成 |
平成23年 | 国内線ターミナルビル全面リニューアルオープン |
令和元年 |
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令和2年 | 国際線ターミナルビル増築完了 |
供用開始以降、さまざまな施設が整備され、空港機能は大きくグレードアップしました。また、平成6年には日本初の24時間運用が開始され、令和2年には、北海道エアポートが新千歳空港を含めた道内主要7空港の運営を始めるなど、運営面でも大きな変化がありました。
新型コロナウイルス感染拡大により、拡張したばかりの国際線ターミナルビルは閑散としています。しかし、アフター・コロナを見据えた時、新千歳空港の役割は非常に重要です。再び多くの人が行き交い、新しい出会いのゲートウェイとなるその時を、皆さんとともに待ち続けたいと思います。
混雑を大幅に緩和―生まれ変わった国際線ターミナル
国際線旅客数は、平成23年までは80万人程度でしたが、その後インバウンドの増加などにより、平成30年には373万人に達しました。便数と旅客数の急激な増加は、ターミナルビルの混雑、駐機スポットの混雑を招き、航空機の地上走行にも支障が出始めたため、平成28年度から北海道開発局などが「新千歳空港国際線ターミナル地域再編事業」に着手し、令和2年までに一連の事業が完了しました。コロナ禍を乗り越え、新装オープンした国際線ターミナルを早く海外の方に見てもらいたいですね。