茨戸川のなりたち
茨戸川のなりたち
- 茨戸川の以前
開拓初期の明治時代には、石狩川は春の雪解け水、秋の台風と毎年のように氾濫を巻き起こす暴れ川でした。
なかでも明治31年9月洪水は空前の大洪水となり、全道の被害は死者248人、家屋の浸水2万4千戸、家屋の流失・倒壊3千5百戸、田畑の冠水5万6千ヘクタールと甚大な被害となりました。
なかでも明治31年9月洪水は空前の大洪水となり、全道の被害は死者248人、家屋の浸水2万4千戸、家屋の流失・倒壊3千5百戸、田畑の冠水5万6千ヘクタールと甚大な被害となりました。
このため北海道庁は治水調査会を設け、石狩川の基本調査を実施し、計画的な治水事業に着手。大正7年には石狩川治水事務所を生振に設置し、石狩川の石狩町(当時)の美登位と生振の間に新しい水路をつくり、石狩川の洪水を安全に流す工事(ショートカット)に着手しました。
事業は昭和8年に完成をみましたが、このとき石狩川から切り離された旧川きゅうせん(三日月湖)が今の茨戸川です。
事業は昭和8年に完成をみましたが、このとき石狩川から切り離された旧川きゅうせん(三日月湖)が今の茨戸川です。
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〈出典:石狩川治水史〉
新水路掘削作業中の掘削機(エキスカベータ)
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〈出典:「石狩市21世紀に伝える写真集」石狩市教育委員会〉
茨戸停車場と創成川(明治40年代)