昭和37年の洪水記録写真
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昭和37年の洪水記録写真
撮影・・・杉森一雄
【滝里町における氾濫】
滝里町では空知川の氾濫により、場所によっては腰までつかる氾濫に見舞われ、流れも速かった。その後、洪水のピークが過ぎ、撮影した杉森氏および町民達も通りに出られる程度の水位に下がった。その時の、住民の安堵の表情を記録した写真である。
【洪水と滝里橋流出】
杉森氏は家族を寺院の本堂に避難させた後に滝里橋付近の撮影を行い、橋の流出情況を撮影した。
【陸の孤島と化した滝里町】
滝里橋(道路橋)が流出して渡船による交通を余儀なくされた。数ヶ月後、仮設の人道橋が設置されたが、新しい橋の完成まで不便な生活が続いた。
【鉄路の寸断】
下流側の河岸決壊と上流側の土砂崩れにより鉄道が寸断された。
【復旧後の鉄路と滝里】
復旧後の鉄道の風景と滝里