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観光 体験 日胆歴史探訪 ~伊達市有珠~ バチラー夫妻記念教会堂を訪ねて

日胆歴史探訪 ~伊達市有珠~ バチラー夫妻記念教会堂を訪ねて

  • 日胆歴史探訪 ~伊達市有珠~ バチラー夫妻記念教会堂を訪ねて
 ※これは平成26年(2014年)10月掲載の情報です。
 今年の春の某日、管理者の許可をもらい伊達市有珠にあるイギリス人ジョン・バチラー(バチェラーとも発音)夫妻記念教会堂の中に入る機会を得ました。
  • 石造りの教会

    石造りの教会


 この建物は伊達市の有形文化財に指定されています。昭和12年に建てられた石造りの堅固な構造で1階部分が日本聖公会の教会になっており、十字架に円のあるケルト十字が目をひきます。
  • ケルト十字

    ケルト十字


2階部分には、バチラー夫妻とその養女であるバチラー八重子ゆかりのものが展示されています。
  • バチラー夫妻写真

    バチラー夫妻写真

  • ジョンバチラー略年譜

    ジョンバチラー略年譜


教会の外にはバチラー八重子の歌集「若きウタリに」から抜粋された歌碑が置かれています。
  • バチラー八重子の歌碑

    バチラー八重子の歌碑


 ジョン・バチラー夫妻とバチラー八重子について、簡単に紹介します。
 ジョン・バチラー氏は1854年(安政元年)イギリス生まれ。宣教師として中国での布教活動を目指していましたが、気候があわず病気となり、療養のため英国の気候に似ている北海道(函館)を訪れました。そこでアイヌ民族のことを知り、アイヌの人たちへのキリスト教の伝道に努めました。
 1882年(明治15年)には聖書等のアイヌ語への翻訳を開始、翌年にはルイザ・アンデレス嬢と結婚。その年夫人を伴い小樽から札幌・千歳の道央圏、苫小牧から浦河に至るまでの胆振日高地域への伝道を行いました。
 1889年(明治22年)バチラー氏の翻訳のもと、北海道庁から「蝦和英三対辞書」が出版。日本で初めてアイヌ語と日本語と英語の読みと意味を対比できる辞書となりました。
  • 展示品「蝦和英三対辞書」

    展示品「蝦和英三対辞書」


 1893年(明治26年)には有珠に、1895年(明治28年)には平取に教会を建て伝道活動にあたるとともに、アイヌの人たちのための教育施設やホスピタル施設(療養所)を建てたり、1918年(大正7年)には当時の樺太庁にアイヌ民族の差別教育廃止について進言し、これを実現させました。
 1923年(大正12年)には内務省(当時)の命により北海道庁から「社会課嘱託」の辞令をうけ、同年には平取に幼稚園を開設。これは現在も平取町にある「バチラー保育園」の前身となっています。
ジョン・バチラー氏の胆振・日高地方の足跡(略)
  • ジョン・バチラー氏の胆振・日高地方の足跡(略)
 このようにバチラー氏は、道内特に胆振日高のアイヌ民族への教育等に尽力し、1932年(昭和7年)には「勲三等瑞宝章」を受けました。
 しかし、1936年(昭和11年)にルイザ夫人が亡くなります。翌年には夫妻の功績をたたえるため、有珠の人々の尽力で「バチラー夫妻記念堂」が建ちましたが、次第に日英関係は悪化。太平洋戦争が始まる前年の1940年(昭和15年)にバチラー氏は敵性外国人として日本を去ることとなり、英国で1944年(昭和19年)に亡くなりました。

 また、バチラー氏は1888年(明治21年)幌別(現在の登別市)にアイヌ児童教育施設「愛隣学校」を設立しています。この学校の校長であった金成太郎氏の金成家は、「アイヌ神謡集」で有名な知里幸恵の母方の家です。知里幸恵は、東京で著名な言語学者で「新選国語辞典」の筆者である金田一京助のもとで、アイヌの口承文芸であるユカラを初めて文字として表現し、美しい日本語へ翻訳し、「アイヌ神謡集」を出版しました。金成家、知里家の一族及び幸恵自身もバチラー氏と関わりのあるクリスチャンです。

☆バチラー八重子について

 バチラー氏の養女となったバチラー八重子は、1884年(明治17年)にアイヌの豪族であった父「向井富蔵」の家に生まれ、戸籍名は「向井八重子」。幼少の頃に父が亡くなり、父が信頼していたバチラー氏を頼ってバチラー氏が運営していた札幌の「アイヌガールズスクール」に通います。その後、東京の香蘭聖書学校へ通い、1906年(明治39年)、22歳でバチラー氏の養女となりました。1909年(明治42年)にはバチラー氏に同行してイギリスに行き、カンタベリー大主教から直接祝福を受け、1912年にはバチラー氏とともに樺太での伝道活動を行いました。1936年(昭和11年)、短歌の歌集「若きウタリ」を出版。バチラー氏が日本を去った後はバチラー氏の蔵書と遺品を自宅に保管し、1962年(昭和37年)77歳で亡くなりました。
  • バチラー八重子関連展示品

    バチラー八重子関連展示品


 バチラー夫妻記念教会堂の礼拝室は慎ましく、綺麗に清掃され、絢爛たるものはありませんが、信者の皆さんがこの教会を大切にしている心が感じ取られ、美しく厳かな気持ちになりました。管理をしている信者の方がいろいろと教えてくれ、バチラー氏のアイヌの人たちを思う、慎ましやかながらも熱い情熱に胸をうたれました。
  • 礼拝室

    礼拝室


 現在も教会として使われているため、館内の一般公開はしていません。しかし、4月から10月までの土曜日で礼拝が行われる日に、管理者の許可があれば見学が可能となっています。詳しくは下記のリンク先をご覧になり、問い合わせをしてください。
 また、見学する皆さんは、建物が信者のための教会であることを念頭に置き、礼節を守りつつ見学しましょう。

 教会堂の近くには眺望のすばらしいアルトリ岬があり、天気の良い日には有珠山や雄大な海の風景を眺めることが出来ます。   
  • アルトリ岬からの有珠山

    アルトリ岬からの有珠山


 また、伊達市内には国指定史跡の善光寺北黄金貝塚、国指定重要文化財の旧三戸部家住宅、伊達市指定有形文化財の迎賓館などの、歴史ある史跡、有形文化財が数多くあります。伊達の歴史を感じたいのならぜひ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
  • 善光寺1
  • 善光寺2 伊達市有珠町にある善光寺

    ※隣接する自然公園は桜の名所です。

  • 北黄金貝塚1
  • 北黄金貝塚2 伊達市北黄金町にある北黄金貝塚

    ※復元された竪穴式住居内部


旧三戸部家住居
  伊達市梅本町にある旧三戸部家住居

  (※写真は伊達市のホームページから提供)

迎賓館
  伊達市梅本町にある迎賓館

  (※写真はNPO法人だて観光協会から提供)

※追記
 最近多くの外国人観光客が来道し、外国人の方と接する機会が多くなった気がします。外国語が話せないからと比較的多数の人が外国人との接触を避けるような風潮が今までの日本にはあった気がします。しかし、バチラー氏の時代に外国から日本へやって来て、アイヌの人たちに積極的に関わり、言葉を覚え、信頼を得ていく。それは並大抵のことではなかったと思います。バチラー氏のことを知ると、まず、行動と積極的なアプローチがあって、言葉はその後で追ってきたと思えるほどです。私たちも外国人と接する際には臆せず堂々と自国や地域の文化を伝えコミュニケーションをとっていくことが大切だと感じました。



                               BY   T・O

お問合せ先

地域連携課

  • 住所:室蘭市入江町1番地14
  • 電話番号:0143-25-7053

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