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マガジン 第1部「鉄道と歩んだ道」

一般国道5号 銭函~小樽間の歴史

【文献 小樽市史より抜粋編集許諾済】

 一般国道5号は北海道の陸の玄関口函館市を起点とし、小樽市等を経て札幌に至る路線で、 札幌及び道央地域と後志、道南を結ぶ主要幹線道路です。
 その歴史は、北海道開拓時代の粗末な道からはじまり、鉄道の開通、戦争、自動車の普及、 そんな時代の変化とともに路線が変わり、地形的困難を克服しながら現在のような便利な道へと変化してきたのです。

第1部「鉄道と歩んだ道」

 小樽から札幌に通じる道路は安政4年に開かれた、オタルナイ場所請負人の恵比寿屋が始めた粗末な道からはじまります。
 しかし、小樽から札幌への物質の輸送は、明治2年に銭函に開拓使が設けられたのを期に、荒れた土地を少しずつ開拓はしていたものの、 険しい道を利用するよりは銭函を経由して運河による輸送がなされていました。 この運河の利用は小樽~札幌間に鉄道が開通したことと、道路の整備によって利用されなくなり、 小樽~札幌間は陸路へと視点が変わっていったのです。
 
 小樽~銭函間の本格的な道路工事は明治5年からで、幅三間(約5m)をとる改修工事にとりかかりました。
 この間の道路は明治11年末に、鉄道建築兼土木顧問として雇われたジョセフ・ユーリー・クロフォード(米)によって 「この道は将来鉄道を敷設する際、鉄道路線とする見込みである」とされ、鉄道路線となすに適するよう、改築工事が進められたのでした。
(1)(2)(3)の写真は北海道大学所蔵
  • (1)新道開鑿中、中央の外人はクロフォード

    (1)新道開鑿中、中央の外人はクロフォード

  •  (2)新道出来上り、場所はカモイコタン

    (2)新道出来上り、場所はカモイコタン

  •  (3)若竹トンネル 遥か向こうに見えるのが熊臼トンネル

    (3)若竹トンネル 遥か向こうに見えるのが熊臼トンネル

 そして翌年の明治12年11月におよそ6カ年の歳月を費やした工事は終了し、 若竹町付近を起点に平磯岬を巡り熊碓に出て、海岸沿いに朝里・張碓・銭函の漁村を結び銭函を結び銭函以降札幌まで、 ほぼ現在の鉄道路線が道として結ばれ、同じ年の12月には新道開通式が挙行されました。
  • 路線図
 明治13年には幌内鉄道が敷設されることとなり、先にクロフォードが付言したとおり、 小樽~銭函間のうちの熊碓~銭函間は地勢関係上、鉄道路線としてその道を使用することとなり、 車道としての利用は数ヶ月にしか過ぎませんでした。
 その代わりとして、鉄道線路外の狭い土地を利用して多数の踏切を設置した「交通ができる」道路をつくり、 年々修築を行ってはいたものの、不便な上に危険が多く、幾多の事故を起こしていました。

お問合せ先

道路計画課

  • 住所:小樽市潮見台1丁目15番5号
  • 電話番号:0134-23-5229(代表)

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