現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 道路計画課
  3. マガジン 第2部「山側への新たな道~軍事道路~」

マガジン 第2部「山側への新たな道~軍事道路~」

第2部「山側への新たな道~軍事道路~」

 明治37年日露戦争が起きた際に、小樽が海上から敵艦の攻撃を受けた場合、後方連絡道路が必要であるという理由から、小樽・銭函間に新たな道路が築設されることになり、朝里~神威古潭間の一部が開設されました。
 翌38年は予算の削減で継続工事が危うくなったのですが、小樽側の熱心な要望もあり、辛くも同年中に工事が終了し、通称「軍事道路」と呼ばれ、小樽~札幌間の連絡道路となったのです。
 
 しかし、勾配・カーブがきつかったこの道路は、大正9年に国道(国道4号線)へ編入されたものの、実際は車馬運行が不可能な状態であったため、利用するものが極めて少なく、廃道に近い姿だったのです。
 その路線は竜徳寺前から深く山背を迂回し、毛無山の鞍部を超え、朝里平野の奥地に出て、さらに石倉山の峠を越え、張碓平野に抜け、銭函で旧道に連なるものでした。
  • 路線図

お問合せ先

道路計画課

  • 住所:小樽市潮見台1丁目15番5号
  • 電話番号:0134-23-5229(代表)

現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 道路計画課
  3. マガジン 第2部「山側への新たな道~軍事道路~」