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北海道開発事業アーカイブ

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有珠山噴火災害に伴う国道230号復旧工事記録

明治以降、昭和・平成にかけて、約20~30年周期で4回もの噴火を記録している有珠山。火山の恵みによって麓に形成されている洞爺湖温泉地域は、国内外を問わず毎年多くの観光客で賑わい、2000年(平成12年)の噴火を契機に計画したエコミュージアム構想を踏まえて、2009年(平成21年)に「世界ジオパーク」として認定され、地域活動が活発化しています。2000年(平成12年)3月31日の噴火では、国道230号の道路上に噴火口が形成され、国道は噴火による隆起の影響を受けて階段状に地殻変動し、通行不能となりました。被災した国道230号は、札幌~函館間を結ぶ最短経路で、多くの方々が利用する北海道の大動脈として機能しており、大きな影響を及ぼしました。被災直後には、並行する地方道を国道に昇格して道央と道南を結ぶ交通ネットワークを確保したものの、早急な新ルートの開通が望まれました。新ルートは、次の噴火時にも安全なルートを確保することを想定して、延長4.6キロメートルのうち約8割を2本のトンネルで占める計画で、着工から5年後の2008年(平成19年)3月28日に開通しました。ここでは、2000年(平成12年)の噴火直後の新ルートの調査計画から工事着工・完成までの記録をとりまとめた映像をご紹介します。[平成19年制作]

小樽港~斜路によるケーソンの製作と進水~

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港湾の防波堤は、陸上で作った鉄筋コンクリートの巨大な函(ケーソンといいます)を海中に並べて沈めることにより建設しています。明治45年から築造がはじまった小樽港では、そのケーソンの制作および進水に、当時世界でも例がない小樽港独自で開発した斜路を使う方法が開発・採用されました。斜路は陸上部が60メートル、海中部が64メートルで10%の傾斜で海底に延びており、木製4本のレールが敷かれて滑り落とす構造になっています。 この進水方式は、当時の軍艦の進水方式にヒントを得たものでした。この方式は経費も少なく作業も極めて簡単で、その後各港でも使用するようになった築港工事史上特筆すべき施工法であったものです。大正元年から平成17年までの93年間で約800函が製作され、小樽港の防波堤・岸壁・埠頭のみならず、他の港湾・漁港で使用するケーソンも、この斜路で製作されました。現在では、ケーソンの大型化に伴い、他の方式で制作することが主流となったため、この斜路も使わなくなり土木遺産として保存されているものですが、本映像ではその在りし日の姿を撮影した歴史的な資料です。[平成11年撮影]

世界へ、未来へ新千歳空港-日本語版-

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新千歳空港は、航空旅客の需要増に対応するため、現在防衛省が管理する千歳飛行場の隣に、新たな民間専用空港として昭和50年に工事着手され、昭和63年7月20に供用開始されました。新たな空港の建設事業としては、まず1本目の3,000メートル滑走路の建設、次に平面形状が半円形のエプロンがあるターミナル地域の建設、そして2本目の3,000メートル滑走路建設と進められました。昭和50年11月10日の着工式に始まる映像では、大型機械を用いた大規模な空港建設工事の映像を中心に、原野が空港に変わっていく状況をとりまとめています。映像には、火山灰を有効活用した土砂の置き換え、厚さが約34センチメートルあるアスファルト舗装の滑走路や厚さが約38センチメートルあるコンクリート舗装のエプロン(駐機場)の工事状況、空港施設の下に埋設された美沢川や排水施設、JRトンネルや新千歳空港駅等の建設当時の映像も含まれています。さらに、工事に先立ち実施され、国の重要文化財が発掘された遺跡調査の様子等も紹介されています。そして、昭和63年7月20日の供用式典、平成4年7月1日の新たなターミナル地域の供用、平成8年4月26日のB滑走路の供用式典までが収録されています。また、建設当時の航空機の離着陸映像等も豊富であるとともに、新空港供用前に航空自衛隊と共用している空港の状況等、貴重な映像も含まれています。[平成9年制作]

氷の海に築くサロマ湖漁港アイスブーム工法

北海道最大の湖「サロマ湖」。北海道東部オホーツク海岸に長さ28キロメートル、幅150~500メートルに及ぶ砂州によって海と仕切られた潟湖(汽水湖)です。冬季は、沿岸に流氷が押し寄せ厳しい寒冷な環境となりますが、夏季には貴重な植物の宝庫となるなど、豊かな自然環境に溢れています。かつては恒久的な湖口を持っていませんでしたが、1929年に漁業者によって現在の第1湖口が開かれ、1979年には第2湖口が常呂町(現北見市)側に開削されました。豊穣なオホーツク海に通じる両湖口は、湖内の水質環境を保持する上で非常に重要な役割を担っており、湖内ではホタテやカキの養殖などが行われるとともに、ホタテ種苗の一大生産地として全道各地に種苗を供給し、北海道のホタテ生産を支えています。一方で湖口は湖内への流氷の侵入口ともなり、1974年1月には大量の流氷が湖内に侵入し甚大な被害となりました。このような被害を未然に防止するため、世界で初となる防氷堤「アイスブーム工法」を整備し、被害の再発防止を講じることとなりました。[平成9年制作]

札幌開発総合庁舎免震レトロフィット工事記録

営繕部では総合的な耐震安全性を確保した防災拠点の施設整備を行っています。札幌開発総合庁舎においても、防災拠点として耐震改修の必要があり、平成19年度から約20ヶ月かけて工事を実施しました。この記録は、建物のデザインや機能を損なうことなく地震に対する安全性を確保する補強工事(免震レトロフィット工事)を行ったもので、地下の柱の一部を切断し、免震装置を設置する様子を紹介しています。事務所建築としては北海道初の免震レトロフィット工事の記録です。[平成21年制作]

除雪車の歴史

除雪車の写真
積雪寒冷な気象条件である北海道では、より安全で快適な生活を実現するために、 除雪車の開発が必須でした。
日本初の除雪トラックが北海道で誕生したのは昭和18年、その後も色々な種類の除雪車が開発されてきました。
ここでは、その除雪車の変遷など、これまでの除雪車の歴史を動画でご紹介します。

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