開拓初期-社会情勢1【札幌開発建設部】治水100年
ページ内目次
石狩川流域誌
開拓初期(明治初期~明治42年)社会情勢
<この時代に進められた政策>
・開拓使(開拓使十年計画 明治5~14年)
・三県一局(計画なし 明治15~18年)
・初期北海道庁(計画なし 明治19~33年)
・北海道十年計画(明治34~42年)
・開拓使(開拓使十年計画 明治5~14年)
・三県一局(計画なし 明治15~18年)
・初期北海道庁(計画なし 明治19~33年)
・北海道十年計画(明治34~42年)
1 札幌に本府を置く
開国したばかりのわが国は、欧米の大国に対抗するため、近代化を進めて産業を育成し、軍事力を強化する「富国強兵」を政策の柱にした。近代化の原動力として、豊富な天然資源が眠るといわれる蝦夷地の開拓が進められることに。名を「北海道」と改め、ロシアの侵攻に備え、明治維新などで失業した士族を集団で移住させた。そして、樺太の所有をめぐりロシアとの関係が悪化していたことから、位置的に樺太への中継基地にもなる石狩平野の開拓が重視され、開拓使を札幌市に置くことにした。
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滝川屯田兵村士官巡視の景
(北海道大学附属図書館蔵)
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開拓使札幌本庁
(北海道大学附属図書館蔵)
2 内陸への入植
北海道の開拓は、農地の開拓も大きな目的だった。「屯田兵」を集団移住させる制度が、明治8年からはじまり、明治20年代には、開墾地は石狩川を遡るように上流へ拡大していった。道路も鉄道も、石狩川流域を中心に延び、上川地方にむかって進んだ。開墾地では新しい農産物がつくられるとともに、米へのこだわりから稲作が盛んに試された。水田を開くために、川の水をひくための「かんがい施設」が流域の各水系につくられていった。こうして北海道の主要産業は、漁業から農業に移っていった。
3 北海道らしい産業の育成
明治新政府は産業の近代化を図るため、大規模で近代的な炭鉱開発を進めるとともに、官営工場をつぎつぎに建て、お雇い外国人を招いて最新の知識と技術を投入、今につながる新しい産業が興された。工場群は、豊富な水量を誇り、水利の便にも恵まれた、豊平川と創成川の中間地帯に設けられた。
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明治9年札幌麦酒製造所全景。手前はホップ畑
(北海道大学附属図書館蔵)