開拓初期-治水事業2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 2治水事業
農地に有効な排水路工事
治水と排水を相乗的に
明治19年に初期北海道庁が設置され、札幌原野に人が住み、農耕ができる土地にするため、北海道庁は明治19年から札幌北部で「原野大排水(新琴似川など)」工事を行った。また翌年、琴似川と発寒川の合流点から下流を、直接石狩湾に流す「琴似川小樽内川大排水(現在の新川)」を開削した。
この大排水は運河も兼ねた。これらの排水路は、湿地の水を抜いて乾燥させる土地改良につながり、農耕地は広がった。
農地開発を目的にまず排水路を掘削する手法は、北海道の治水事業の原型になり、全道に展開していった。
この大排水は運河も兼ねた。これらの排水路は、湿地の水を抜いて乾燥させる土地改良につながり、農耕地は広がった。
農地開発を目的にまず排水路を掘削する手法は、北海道の治水事業の原型になり、全道に展開していった。
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創成川(大友堀)の改修経緯と新川の位置
*豊平川河川整備計画より(明治29年頃の国土地理院発行の地形図より作成)