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明治43年頃-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 3土地利用(農業・市街地)

  • タイトル

農耕地の拡大と戦争による極小

  • 旭川付近の水田開発の状況。大正期 旭川付近の水田開発の状況。大正期

    (北海道大学附属図書館蔵)

展開期の土地利用
大正期は、雑穀類の好況を受けて、石狩川上流の愛別から上川、雨竜川上流の幌加内、空知川上流の南富良野など谷底平野が奥地まで開墾され、丘陵地にも畑が急速に広がった。当別川・徳富川・夕張川・豊平川などの流域でも、奥地まで入植が進み、石狩低地帯の両側には畑が広がっていった。中南部では、泥炭地を覆い包むように畑が広がり、泥炭原野の面積は減少したが、低地のところでも石狩川の改修が不十分な状態では、開墾は無理だった。
上川盆地の水田は極限まで広がり、秩父別~妹背牛~深川や、雨竜~新十津川の低地の水田も、大きな規模になっていた。美瑛や富良野盆地の低地帯も同様に広がった。石狩低地帯中南部の水田も広がったが、依然として小規模に散在しているだけで、水利の便の良い地域に限られていた。
幌加内や上川、南富良野などの内陸盆地の開発は、森林資源の利用と密接に関連し、道路、鉄道の発達がその背景になっていた。
耕地面積は、昭和13年(98.3万ha)にもっとも広がりを見せたが、太平洋戦争終戦直後の昭和22年には、71.6万haときわめて少ない面積を記録した。
*参考資料/北海道開発局農業水産部農業設計課「石狩川流 域の土地利用と、その展開過程」より
雑穀の好況
北海道の稲作は、直播栽培や馬耕の普及で、本州の水田農家よりも少ない家族労働力で、数倍の面積を経営できるようになった。大規模な北海道農業の基礎がつくられつつあった。昭和8年に米の収穫量は300万石の新記録を記録し、昭和13年には350万石に達し、道内の必要量を満たす数に近づいた。
畑作は第一次世界大戦が起こり、雑穀類がイギリスなどに高値で輸出されるようになり、畑作農家は競って作付けを増やした。繊維加工用ノリの原料にもなるバレイショデンプン、軍需用の亜麻(アマ)の需要も高まり、各地に加工工場が増設された。基幹産業である農業の好況は、北海道に好景気をもたらすなど、産業発展を牽引(けんいん)した。
*参考資料/新北海道史第一巻概説より

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