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開拓初期:豊平川流域-流域の文学【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期:豊平川流域-流域の文学【札幌開発建設部】治水100年

  • タイトル

石川啄木・秋風記ほか

札幌はまことに美しき北の都なり
石狩川流域には、歴史に名を残す作家が生まれたり、または訪れている。
その時代々々に石狩川と支川にゆかりのあった、文学を追ってみる—
明治40年、2週間ほど新聞記者として札幌に滞在した薄幸の天才歌人・石川啄木。
当時の札幌の様子を、詩的にたとえて印象深い(秋風記の原文から一部抜粋して簡略化)。
札幌はまことに美しき北の都なり。
…アカシヤの並木をさわがせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり。
札幌に似合へるものは、幾層の高楼(こうろう・高い建物)に非ずして幅広き平屋づくりの大建物なり、自転車に非ずして人力車なり、朝起きの人にあらずして夜遅く寝る人なり、際立ちて見ゆるえび茶ばかまに非ずして、しとやかなる紫のはかまなり…
  • 大通公園の石川啄木歌碑 大通公園の石川啄木歌碑
しんとして 幅ひろき街の秋の夜の とうもろこしの焼くるにほいよ
石川啄木

  明治19年、岩手県に生まれる。明治36年から雑誌などに詩を発表し、職を転々としながら小説家を目指したが、なかなか認められなかった。明治40年に北海道に渡り、函館~札幌~小樽~釧路を転々とし、41年に離れた。明治45年、詩集「一握の砂」を発行し北海道での流浪時代も詠った。三行詩の新しい形式を生み出し、これからの活躍が期待されたが、明治45年4月13日、肺結核により死去。享年26歳。
"働けど働けどわが暮らし楽にならざり。じっと手を見る(一握の砂・我を愛する歌)"という一文は後に教科書に掲載されるほど石川啄木の代名詞に。代表作「一握の砂」「悲しき玩具」ほか

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