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明治43年頃:千歳川流域-治水事業【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 千歳川流域 治水事業

  • タイトル

中流のショートカット

水鳥の重要な中継地・幅広水路
水鳥の重要な中継地・幅広水路

(千歳川河川事務所蔵)

昭和11年の夕張川新水路の完成で、支川だった夕張川が直接石狩川に合流するようになり、千歳川から切り離された。
また千歳川ではじめての、本格的な河川改修も行われた。昭和7年から12年にわたり、中流の舞鶴橋上流から長沼の西6線南6号までの曲がりくねった蛇行部分13カ所をショートカットして流れを良くした。この工事は、昭和7年洪水で収穫が無理になった長沼、南幌、恵庭、広島の農民救済も兼ね、農民が従事した。賃金は当時で1日男1円・女80銭と高いものではなかったが、希望者が殺到して採用するのに苦労したという。このためさらに賃金は下がり、工事半ばで女は50銭、ついには30銭まで下がった。
*参考資料/長沼町九十年史

農地開発のための長都沼の干拓

東大や早大など全国の学生が奉仕活動で掘削した大学排水
長沼と千歳との境には、かつて長都沼や馬追沼といった広大な湿地があり、千歳川と支川も流れ込んで氾濫を繰り返していた。
戦時中、日本海(石狩)と太平洋(苫小牧)をむすぶ運河構想が提唱された。千歳川の治水とともに、軍事にも利用できる船の最短航路になり、排水路の掘削で湿地が乾燥して農地開発ができることから、計画が進められた。排水路の掘削は、無償で国家事業などに奉仕する学生義勇軍が行い、1,200mの排水路計画のうち約400mを掘削した。この排水路は「大学排水」と呼ばれた。昭和26年に「長沼村長都地区土地改良事業」として北海道庁が本格的に整備し、南長都地区(馬追沼周辺)、中央長都地区(長都周辺)、北部地区の耕地ができて多くの人が暮らせるようになった。
かつて沼があった位置にある幅広水路(ネシコシ排水路)には、水鳥や魚類などが生息し、平成13年には日本の重要湿地500に選ばれている。
*参考資料/千歳川河川事務所「幅広水路」、川と人(石狩川振興財団)

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