明治43年頃:夕張川流域-治水事業【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 夕張川流域 治水事業
悲願の夕張川新水路の通水

また川の長さが3分の1に短くなったことから、急こう配になって川底を掘ったり、橋などを壊す恐れがあることから、清幌床止が設置された(その後増設)。新水路の通水で夕張川の水位は約1m低下し、通水年に発生した夕張川の洪水を完全に流下させるなど、その効果は大きかった。
*参考資料/石狩川治水史、南幌町百年史、長沼町史、栗沢町史
工事の補給基地・江別機械工場

各工事現場にある治水工場(夕張川新水路は渋川工場)の機械や器具の製作や修理、工事資材等を千歳丸などで川輸送する、いわば補給基地といえた。
夕張川新水路工事では、機械工場から軌道をひき、ガソリン車で土運車をひいたという。大正12年現在で、敷地内に工場6棟(大工、鋳物、造船、旋盤など)、倉庫7棟、職員官舎4棟、長屋11棟などがあり、従業員は約120人で富士製紙江別工場(現・王子製紙)に次ぐ規模だった。昭和19年には独立し「土木機械工作所」に、戦後は「北海道開発局建設機械工作所」へと変わり、現在は水防活動の拠点基地「江別河川防災ステーション」になっている。