昭和35年頃:千歳川流域-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 千歳川流域 土地利用
〈この時代の農業の状況〉
米の減反政策で稲作は苦しい時代がつづくが、札幌の拡大で千歳川流域は野菜供給地としての役割が増していた。野菜や花きなどの作付は増え、都市型農業への転換が図られていた。その一例として、江別にトマト、タマネギ、アスパラ、ユリ根、長芋を重点に栽培する野菜団地が形成され、計画的な生産拡大と効率的な出荷体制の構築を目指した。
千歳の小麦とハスカップ

(石狩振興局蔵)
また千歳にはハスカップが自生することから、昭和45年から中長都・泉郷地区で転作作物として試作された。53年に「ハスカップの里運営協議会」が発足し、親樹の菜園がつくられた。現在、大部分の樹のもとになっている。ハスカップの栽培地は、根志越・祝梅地区などだ。6月頃から実の収穫がはじまり、苫小牧などの製菓会社に買い取られるほか、手づくりジャムなどに加工され新千歳空港の土産店にも並ぶ。そしてハスカップ狩りは、初夏の千歳の風物詩になっている。
*参考資料/千歳市史
恵庭えびすかぼちゃ
北海道では、畑地の土壌の栄養バランスを保つため、周期的に作物を変える輪作が行われる。麦~豆~ジャガイモの3年輪作が、伝統的に栽培されていた。
恵庭は輪作を、より収益性の高いものにしようと、さまざまな野菜を組み合わせて試作し、その結果、安定性のあるカボチャが選ばれた。昭和40年代のはじめに「えびすかぼちゃ」の栽培が確立され、恵庭で生産されるカボチャはすべてえびすかぼちゃに統一された。甘みがあってホクホクしたえびすかぼちゃは、ソフトクリームやパンなどに加工され市内で販売されている。今では「道の駅・花ロードえにわ」で、行列ができるほどの人気に。
恵庭は輪作を、より収益性の高いものにしようと、さまざまな野菜を組み合わせて試作し、その結果、安定性のあるカボチャが選ばれた。昭和40年代のはじめに「えびすかぼちゃ」の栽培が確立され、恵庭で生産されるカボチャはすべてえびすかぼちゃに統一された。甘みがあってホクホクしたえびすかぼちゃは、ソフトクリームやパンなどに加工され市内で販売されている。今では「道の駅・花ロードえにわ」で、行列ができるほどの人気に。
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道の駅・花ロードえにわで人気の「かぼちゃプリンパン」
(札幌広域圏組合蔵)