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開拓初期-暮らし・社会4【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 6暮らし・社会

  • タイトル

農業専門学校と空知の中核都市

初の農業専門学校・札幌農学校
明治5年に開校した『開拓使仮学校(東 京仮学校)』は、明治8年に札幌市に移され、ウイリアム・スミス・クラークを初代教頭に、『札幌農学校』として改めて開校した。アメリカの農業専門学校にならい、農業試験地を設け、農業指導者の養成とともに模範農場にした。札幌農学校では、卒業後は開拓使に就くことが入学時に約束され、北海道開拓の指導者を育てる場も兼ねた。
現在の北2条西2丁目付近にあった札幌農学校は、明治36年に現在の場所に移され、その後、「東北帝国大学農科大学」「北海道帝国大学」を経て、昭和22年に『北海道大学』に改称された。
*参考資料/新北海道史第一巻概説などより
交通の要衝・岩見沢
「幌内炭山」の開発のために、開拓使は道路を開削した。明治11年に開通した「札幌~幌内間」の工事従事者のために、幾春別川の川辺に休泊所を設けた。ここで浴(ゆあみ)したことから、この地域は「浴澤(ゆあみさわ)」と呼ばれ、転じて「岩見澤(いわみざわ)」になったといわれている。
明治15年、幌内鉄道「幌内~手宮間」が全線開通すると集団移住がはじまり、明治22年には「岩見沢~滝川~忠別太(旭川市)間」、翌23年には「岩見沢~夕張間」に道路が開通。明治24年には鉄道「岩見沢~歌志内間」が開通するなど陸上交通の要衝となった。明治30年には空知支庁が設置され、明治41年、函館に次いで上水道が整備された。
*参考資料/岩見沢市「地名の由来」「岩見沢のおいたち」より
  • 北側より見た札幌農学校校舎(天文台、北講堂、演武場、寄宿舎)明治23年頃 北側より見た札幌農学校校舎(天文台、北講堂、演武場、寄宿舎)明治23年頃

    (北海道大学附属図書館蔵)

  • 明治30年頃の附属農場牧草収穫の景 明治30年頃の附属農場牧草収穫の景

    (北海道大学附属図書館蔵)

  • 岩見沢停車場。明治30年代 岩見沢停車場。明治30年代

    (北海道大学附属図書館蔵)

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