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明治43年頃-歴史のひとこま2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 歴史のひとこま

  • タイトル

空をよみ風をよむ気象観測と開拓

今はいつでもどこでも天気を知ることができるが、
気象観測は瞬時に変わる自然現象を予測する壮大な
自然調査で、厳しい自然の北の地で最も重要とされた—
  • 昭和34年~札幌管区気象台。中央区北2条西18丁目(札幌管区気象台蔵) 昭和34年~札幌管区気象台。中央区北2条西18丁目(札幌管区気象台蔵)
開拓を影で支えた気象観測
昭和14年は『札幌管区気象台』が、現在の地に移って観測をはじめた年にあたる(改称も同年)。
わが国で気象観測網が整備されたのは明治20年からだが、北海道では開拓早々に取り組まれる。厳しい自然条件のなかで開墾するには、気象情報の提供が重要だったのだ。開拓使は明治5年、函館で日本初となる気象観測をはじめ(函館海洋気象台の前身「函館気候測量所」)、明治9年には、『札幌農学校』の教師だったウィリアム・ホイラーが、農業と気象との研究の一環としてはじめた。そして、暴風警報や地震観測が開始される。明治21年には、旭川にも測侯所が置かれるなど、観測網は内陸に向かって広がっていった。
基幹産業だった第一次産業にとって、気象観測は生命線ともいえた
戦時中はトップシークレット
明治25年には、いよいよ天気予報の発表がはじまった。札幌では、北海道庁の搭上に信号柱を建て、旗を掲げて予報を知らせた。昭和に入ると、ラジオで天気予報がはじまり、新聞には天気図が掲載されるようになった。戦時中は、最高レベルの軍事機密として、暗号化されるなど慎重に扱われた。
昭和32年には、テレビで天気予報がはじまり、現在の形になっていった。また同年から、『洪水予報』もはじまった。治水を担当する建設省(現・国土交通省)と気象庁の共同によるものだ。
鉄道や道路がハードだとしたら、気象観測はソフトとして産業や暮らしを支える。今や観測も宇宙規模で細分化されたが、その目的は不変だ。
*参考資料/新北海道史第四巻通説三、札幌管区気象台より
  • 明治23年~札幌観候所。現在の中央区北8条西9丁目

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