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明治43年頃-歴史のひとこま1【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 歴史のひとこま

  • タイトル

暮らしのそばに

北海道の開拓に、馬は必要不可欠だった。
車をひき、ソリをひき、田畑をも耕した。
頑丈でよく働く道産馬は、「道産子」と呼ばれ親しまれた—
  • 札幌南1条停車場通りを走る馬鉄(北海道大学附属図書館蔵) 札幌南1条停車場通りを走る馬鉄(北海道大学附属図書館蔵)
ゴトンゴロゴロ馬鉄が走る
馬が線路の上を走る車をひく『馬車鉄道』(植民軌道、簡易軌道)は、昭和の自動車普及まで使われた。
「札幌市電」の前身『札幌石材馬車鉄道』は、「札幌軟石」を運んだ。また、『軽石軌道』は道路の通行が困難なため、住民の要望で開通した。札幌市軽川地区(現・手稲駅)から石狩市花畔地区(現・市役所付近)まで、道路の右端に一直線に線路が敷かれた。花畔駅の近くには切り替え前の石狩川(現・茨戸川)が流れ、川舟から馬鉄への乗り換えや積み替えが行われた。馬鉄は手をあげると止まってくれたが、泥炭のぐちゃぐちゃな場所ではよく脱線した。そのたびに、乗客が車を持ち上げレールに戻した。ところどころに転がっている馬糞(ばふん)も当たり前の光景。
時はゆっくりと流れていた。
*参考資料/札幌市中央区手稲区役所「馬鉄が走ったまち」などより
馬の力比べに人々は熱狂
農業では、牛や馬に犂(すき)をひかせて土を起こす「田起こし」が奨励された。林業では、冬の間に伐り出された木材を、馬がソリで近くの貯木場まで運び出した。
人々は、馬の馬力を試すため、2頭の馬を互いに引っ張らせて競わせた。馬の力比べは、明治の終わり頃には、ソリに過重をかけてひかせる農耕馬の祭典として定着し、『ばんえい競馬』になった。空知地方では岩見沢市や深川市、栗沢町、美唄市、長沼町や三笠市で行われていたが、一支庁一箇所に限定され、岩見沢市で行われるようになった(現在休止)。昭和21年には公営に。戦争で徴収され数が激減したための措置で、食糧増産を進めるうえでも、馬の畜産が提唱された。
激動の時代を、人とともに生きた。
*参考資料/ばんえい十勝「ばんえい競馬の歴史」より
  • 峰延泥炭地掘起シノ景。大正初?

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