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明治43年頃-暮らし・社会5【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 6暮らし・社会

  • タイトル

最盛期の炭鉱街と豊かな暮らし

高給と支給と
各炭鉱会社は鉱員のために、通称「炭住(たんじゅう)」と呼ばれた「炭鉱住宅」を建設した。かつては木造の長屋形式だったが、光熱費を含めて無料で住むことができ、戦後になるとアパート形式の集合住宅に替わった(通称・炭住アパート)。
夕張市福住地区は、炭鉱の拡大にともなって炭鉱住宅街が形成されていった。1区から7区まで分けられるほどで、当時、市内で最も人口密度の高い地区だった。山頂近くまで、斜面に添って階段状に炭住がならび、昭和20年から昭和49年の廃止まで、「福住人車」の名でケーブルカーが運行された。なお夕張市は、再生産がはじまった昭和26年から30年代、人口が10万人を突破した。
鉱員の給料は、労働組合ができてから良くなり、昭和30年代の最盛期は一般サラリーマンの約10倍に(1万4,000円)。加えて、生活物資も支給され、終戦後の食料不足の時も「加配米」などが現物支給されるなど、庶民の憧れの的だった。また、教育・娯楽・医療施設も炭鉱社会には不可欠なものとして、炭鉱ごとに建設された。
現在、炭鉱住宅街の多くが解体された。
*参考資料/空知支庁「そらち・炭鉱の記憶の旅」「そらち産業遺産と観光」より
  • 夕張の炭鉱住宅街「福住地区」(空知支庁「そらち・炭鉱の記憶の旅」蔵) 夕張の炭鉱住宅街「福住地区」(空知支庁「そらち・炭鉱の記憶の旅」蔵)
  • 明治上芦別炭鉱の社宅群(空知支庁「そらち・炭鉱の記憶の旅」蔵) 明治上芦別炭鉱の社宅群(空知支庁「そらち・炭鉱の記憶の旅」蔵)

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