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昭和55年頃-産業2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

昭和55年頃(昭和55年~平成8年頃) 5産業

  • 昭和55年頃(昭和55年~平成8年頃) 5産業

大規模リゾートと農村観光

リゾート開発の推進と破綻
道外観光客数の推移(延べ人数)
北海道経済をうるおす道外観光客数は急増した。
わが国では、昭和62年に「総合保養地域整備法(通称・リゾート法)」が制定され、都市から離れたまちが大企業を誘致して、第三セクターで大規模リゾートの開発と経営に乗り出した。北海道はリゾート適地とされ、バブル経済の資金力を背景に、ゴルフ場などの計画と建設が相次いだ。さらにゴルフ場・スキー場・コンドミニアム・ショッピングセンターなどを併設する、「通年型リゾート」の開発も進められた。
石狩川流域では旧産炭地などが、石炭から観光への転換を目的に、テーマパークの建設を進めた。炭鉱施設を有効利用した『石炭の歴史村』が夕張市に、広大な石炭露天堀跡地に「赤毛のアン」の世界を再現した『カナディアンワールド(現在は公園)』が芦別市に誕生した。これらの施設は、オープン時には話題を集めたが、バブル経済の崩壊とともに経営が傾いていく。
*参考資料/空知支庁「そらち産業遺産と観光」などより

富良野・美瑛が観光地に
むかしラベンダーは、「特用農作物」として奨励され、全道で栽培されていた。
昭和51年、当時の国鉄(現在のJR)は、カレンダーに中富良野町のラベンダー畑の写真を使った。また、北海道新聞が上富良野町のラベンダー畑を紹介すると、全国から観光客が訪れるようになった。さらに、富良野市を舞台にした国民的ドラマが放映され、「富良野観光」を定番化させた。
近隣の美瑛町は、写真家が写した赤麦畑が発表され、テレビCMのロケ地としても有名だったことから、一躍憧れの観光地に。こうして「富良野~美瑛」が広域観光地へと発展を遂げ、夏は畑作地帯に大型バスと観光列車が走るようになった。
今まで生産の場でしかなかった農村の景観が、観光資源になりうることを実証し、北海道観光の可能性を広げた例になった。美瑛町では平成元年、「景観条例」を制定し、まちぐるみで景観の保全につとめている(平成15年「美瑛の美しい景観を守る条例」に改正)。
*参考資料/かみふらの十勝岳観光協会より
  • 美瑛町「ケンとメリーの木」(旭川市経済観光部観光課蔵) 美瑛町「ケンとメリーの木」(旭川市経済観光部観光課蔵)

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