開拓初期:豊平川流域-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 豊平川流域 土地利用(農業・市街地)
大友亀太郎の札幌村

札幌村は開拓使や札幌農学校(現・北海道大学)に近いことから、新しい農作物の種子が配られることもあった。そのなかで、タマネギの栽培がわが国で初めて成功する。当時市場がなかったため、長期貯蔵ができるタマネギは海外に輸出され、日清・日露戦争時には需要が拡大し生産も急増した。当時栽培された「札幌黄」は、現在はほとんど作付されていないが、今も東区は札幌タマネギの産地で、「札幌黄」の復活に向けた取り組みも行われている。
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札幌付近タマネギの収穫
(北海道大学附属図書館蔵)
庄内藩士の桑園開墾
明治8年、開拓使は蚕(かいこ)を飼って糸をつくる養蚕(ようさん)を勧めるため、現在の北1条から10条、西11丁目から20丁目一帯を、地元で実績のあった庄内藩(現・山形県)の元藩士達に開墾をまかせた。現在の知事公館に宿舎が用意され、元藩士達は6月4日から9月15日までに21万坪も開墾した。彼等が本道を離れる時、開拓使は送別会を開き、赤飯や牛肉のてんぷら、玉子焼き、梅のようかん、秋味のかまぼこなどを振る舞い、プラウやレーキなどの西洋農具と洋牛2頭を贈った。山形県はむかし酒田県と呼ばれたことから、この地は「酒田桑園」と名付けられた。その後、庄内元藩士が掘った穴に桑の苗を植えたが全滅した。そこで今度は自生する山桑に植え替えて、桑畑は48万坪に拡げられた。その後、明治25年に北海道庁は桑園の土地を養蚕希望者に貸下げた。明治45年には宿舎跡だった知事公館東門に、「桑園碑」が建てられた。
平成元年から桑園碑の前で「桑園開拓まつり」が開かれるようになり、桑園小学校6年生が碑文を朗読するなど、歴史の伝承活動がつづけられている。
*参考資料/桑園の由来(桑園地区連合会)
平成元年から桑園碑の前で「桑園開拓まつり」が開かれるようになり、桑園小学校6年生が碑文を朗読するなど、歴史の伝承活動がつづけられている。
*参考資料/桑園の由来(桑園地区連合会)