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開拓初期:幾春別川流域-交通1【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 幾春別川流域 交通

  • タイトル

〈開拓初期の交通の状況〉

空知の炭鉱開発は、岩見沢を交通の要衝に発展した。
また上川道路(現・国道12号)や北海道炭鉱鉄道(通称・北炭)「岩見沢~歌志内間(現・函館本線の旧歌志内線)」の開通で、中継地の美唄に移住者が住むようになり開村につながった。なお、国道12号のうち、現在の美唄の光珠内(こうしゅない)鉄道陸橋から、滝川の国道38号交差点間29.2kmは、「日本一長い直線道路」として今も記録は破られていない。
また幾春別川流域は泥炭地で、飲み水の確保に苦労した。岩見沢には、めずらしい「水汲道路」があったという。現在の元町地区の幾春別川沿いに清水が湧き出ていて、その水を飲みに行くために開かれた道だった。
*参考資料/岩見沢市史



交通で発展した岩見沢

小樽の手宮から札幌を経由して三笠に至る「幌内鉄道(現・函館本線の前身)」が全通し、岩見沢駅が明治17年に新設された。明治24年には北炭の「岩見沢~歌志内間」が、翌25年には「岩見沢~室蘭間(現・室蘭本線)」が開通し、岩見沢駅は現在の地に移転された。岩見沢駅には、幌内炭鉱や空知炭鉱(歌志内)からの石炭が運ばれ、また手宮、室蘭、苫小牧へ運ぶ貨物列車が多数往来していた。明治33年になると、北炭は岩見沢駅近くに鉄道工場を建設し、36年には本社も札幌から移した(39年に国有化され工場は札幌の苗穂へ)。
また、札幌と旭川をむすぶ上川道路は岩見沢駅を基に開削され、夕張道路(道道38号線)や道道1号線(国道234号線)の交わる、空知の中核都市として大きく発展していった。
*参考資料/岩見沢市史、岩見沢市「岩見沢のおいたち」
  • 北炭の岩見沢工場、明治39年頃 北炭の岩見沢工場、明治39年頃

    (北海道大学附属図書館蔵)

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