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開拓初期:空知川流域-流域の文学【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 空知川流域 流域の文学

  • タイトル

国木田独歩・空知川の岸辺

空知川の沿岸を思うと、あの冷厳なる自然が、余をひきつけるように感ずるのである

国木田独歩「空知川の岸辺」文学碑
明治文壇の奇才・国木田独歩は明治28年、北海道を訪れた。空知 川の大自然は、25歳の若く熱い感性をふるわせた—
恋人との新天地を求めて渡道した国木田独歩は、北海道庁から空知川のほとりを勧められ、空知太駅に降り立った。明治35年に発表された「空知川の岸辺」は、この時のことを描いたものだ(原文から一部抜粋して簡略)。

「早速主人を呼んで、空知川の沿岸に行く方法を問い、くわしく目的を話してみた」

国木田独歩は、空知太駅から三浦屋に行き2時間ほど休んだ。主人の三浦庄作の勧めで、空知太駅から引き返して砂川駅から歌志内に向かった

「余は時雨の音のさみしさを知っている、しかし未だかつて、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほどさみしさを感じたことはない」

炭鉱の開発がはじまった歌志内に着いた独歩は、夜に小高い森を散歩した。歌志内公園には、「山林に自由存す」という、独歩の代表的な詩の一節が刻まれた詩碑がある。
独歩は翌日赤平の茂尻元町に達した(現・独歩苑)。空知川の大自然に感嘆する一方で、開墾するには病弱すぎた。12日間の夢は覚め、国木田独歩は東京へ、現実へと戻った。
国木田独歩
「余は今も尚ほ空知川の沿岸を思うと、あの冷厳なる自然が、余を引きつけるように感ずるのである。何故だろう」

滝川公園(砂川市)に建てられた、国木田独歩文学碑「空知川の岸辺」にある一節だ。国木田独歩は、ふたたび北海道に来ることはなかったが、空知川の記憶は、あの時の若き熱情とともに、色あせることはなかっただろう。

*参考資料/滝川市史、名作の中の北海道(著・木原直彦)
国木田独歩

明治4年、千葉県銚子に生まれる。明治27年に国民新聞社に入社。日清戦争に記者として従軍後、詩や小説を発表する。「武蔵野」などの浪漫的な作品の後に、「運命」などを発表して自然主義の先駆けとされた。また、現在も刊行されている雑誌「婦人画報」を創刊し、編集者としての評価も高い。明治41年、肺結核のため他界。享年36歳。代表作は「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」「運命論者」ほか

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