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明治43年頃:空知川流域-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 空知川流域 土地利用(農業・市街地)

  • タイトル

ラベンダーのはじまり

香料に使う特殊作物だったラベンダー
昭和23年、上富良野の東中地区でラベンダー苗1,000本が植え付けられた。この苗は根付き、やがて上富良野全域から周辺地区にまでラベンダーの栽培は拡がった。ラベンダーは傾斜地で表土流出の防止に役立ち、やせた土地でも生育することから、まちをあげて振興された。
30年に「上富良野ラベンダー耕作組合」が設立され、蒸留工場なども設置され、ラベンダーの香油の採取も行われるようになり、最盛期には全国生産量の8割を占めるようになった。富良野地域のラベンダーづくりは、「曽田香料」の契約栽培だったため、合成香料に押されると昭和45年をピークに栽培は減少し、曽田香料がラベンダー油の買取をやめた52年に農作物としての役割を終えた。
*参考資料/上富良野百年史

戦争を乗り越えたホップ栽培

上富良野には今もビール大麦畑が広がる
サッポロビールは、ビールの原料になるホップの栽培地を選ぶため、大正12年に上富良野、夕張、遠別などで試作を行い、気候、風土、土質、収量、品質などを総合して上富良野に決めた。大正15年からホップ園が開設され、「ホップ栽培組合」が結成され、直営と契約の栽培がはじまった。ホップの球花はこの地域の夏の風物詩になったが、戦争の影響をもろに受ける。
戦時下で輸入ホップの入手がむずかしくなると増産され、戦後は食糧増産で水稲中心になり、ホップの栽培は休止された。そして世の中が落ち着きを取り戻すと、ビールの消費は回復し、昭和27年頃から作付けはふたたび増加に転じた。輸入に押されているものの、現在もサッポロビールと恊働契約のもとに栽培され、「バイオ研究開発部原料研究センター」でホップの品種改良を研究している。
*参考資料/上富良野百年史

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