昭和35年頃:空知川流域-概要【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 空知川流域 概要
空知川流域の開発 「金山ダムと地域ブランド」
空知の炭鉱群は、石油へのエネルギー政策の転換で昭和40年代に閉山が相次いだ。また農業も重い減反が課せられ、水田の減少はつづく。打開策として、本州に対抗できるおいしい米の開発に、一層力が入れられた。また富良野のワイン事業を例とする、まちづくりと一体になった地域ブランドづくりもはじまった。空知川流域では金山ダムが竣功し、水害の脅威とともに深刻な水不足も解消されつつあった。加えて金山ダムは、ダム湖を中心にレジャー活用が試みられ、水源地のまちづくりの参考事例になっていく。
また「中空知広域市町村圏組合」と「富良野地区広域市町村圏」が設立され、地形的にも歴史的にもかかわりが深いまちが連携し、道路管理や観光などを広域で進める体制が築かれた。
また「中空知広域市町村圏組合」と「富良野地区広域市町村圏」が設立され、地形的にも歴史的にもかかわりが深いまちが連携し、道路管理や観光などを広域で進める体制が築かれた。
-
金山ダムの完成で出現したかなやま湖
(金山ダム水源地域ビジョンより)
-
交通の難所、滝川~砂川間の空知川に開通した空知大橋
(滝川市蔵・たきかわ歴史写真館)