昭和35年頃:夕張川流域-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 夕張川流域 土地利用
大夕張ダムで用水確保
夕張川流域はかんがい用水などの水不足がつづき、頭首工や用水路は古くなり、十分な取水がむずかしくなっていた。ダムによる水源確保の構想が持ち上がり、夕張の二股地区で調査が行われるとともに、長沼、栗山、栗沢の土功組合(現・土地改良区)は北海道庁にダム建設の請願運動をつづけた。昭和12年の日中戦争から戦時下に入ると、森林は乱伐され、水不足はさらに深刻になった。戦後、石狩川流域の総合開発計画が取り上げられ、大夕張ダムの建設が昭和28年に決まった。
昭和36年に「大夕張ダム」が、37年には栗山と由仁の境の滝の下地区に「川端ダム」が竣功し、取水施設の「栗沢頭首工」と「長沼頭首工」なども完成し、大正末期から悩まされた水不足は、約40年の年月を経てようやく解消された。
昭和36年に「大夕張ダム」が、37年には栗山と由仁の境の滝の下地区に「川端ダム」が竣功し、取水施設の「栗沢頭首工」と「長沼頭首工」なども完成し、大正末期から悩まされた水不足は、約40年の年月を経てようやく解消された。
-
大夕張ダム(石狩川の碑より)
夕張メロンの誕生と名声

(空知総合振興局産業振興部南部耕地出張所蔵)
昭和34年、静岡の新品種との交配に成功し、昭和35年に「夕張メロン組合」が結成され、37年から本格的な栽培がはじまった。丸い赤肉のネットメロンは38年に「夕張キングメロン」と命名され、栽培技術も向上して大型ビニールハウスで栽培できるようになった。産地直送システムを確立して全国出荷が可能になると、その甘さはたちまち全国で評判になり、ネットメロンの最高峰と呼ばれるようになった。

(空知総合振興局蔵・そらち産業遺産と観光)
*参考資料/夕張市史、空知総合振興局・夕張市の農業農村整備について