昭和55年頃:幾春別川流域-歴史のひとこま【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
昭和55年頃(昭和55年~平成8年頃) 幾春別川流域 歴史のひとこま
山のない北村の温泉騒動
昭和五十八年十月七日の夕方、
岩見沢市北村の赤川地区で突然、
ゴォーっという轟音
とともに温泉が噴き出した。
これが空知温泉開発ブームのはじまりだった—
岩見沢市北村の赤川地区で突然、
ゴォーっという轟音
とともに温泉が噴き出した。
これが空知温泉開発ブームのはじまりだった—
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源泉かけ流しの「いわみざわ北村温泉」(岩見沢市北村蔵)
低平地の泥炭地に温泉が出た
北村では当時、「農村環境改善センター」など公共施設を建設中で、施設の暖房費の削減に温水を活用できないかと、試しにボーリング調査をしていた。「地下水を掘れば、20度程のお湯が出るのではないか」という程度のものだった。しかし自噴した温泉は、毎分400?、泉温は42度の立派な100%天然温泉だった。
「お湯が出た! 青い水が出た! 海水だ!」。
担当者は驚きつつ役場に伝え、町中が興奮に包まれた。また、新聞にも取り上げられ、たちまち全道のビッグニュースに。当時空知には、大小50近い温泉があったが、ほとんどが25度未満の冷泉を沸かしたもので、40度もの温泉をくみ上げたのは、新十津川と北村だけだった。
「お湯が出た! 青い水が出た! 海水だ!」。
担当者は驚きつつ役場に伝え、町中が興奮に包まれた。また、新聞にも取り上げられ、たちまち全道のビッグニュースに。当時空知には、大小50近い温泉があったが、ほとんどが25度未満の冷泉を沸かしたもので、40度もの温泉をくみ上げたのは、新十津川と北村だけだった。
空知公営温泉ブームが到来
泉質は塩化物強温泉、いろいろな病気の治療にも適していることがわかった。昭和59年、源泉かけ流しの公営日帰り温泉が誕生した。3年後、隣接地に民間ホテルがオープンし、現在2つの施設は統一され、駐車場に設けられた無料の足湯も人気に。山のない低平地で泥炭地でもある北村で温泉が出たことから、空知の各まちでもボーリング調査が盛んに行われ、空知公営温泉ブームを巻き起こした。
また温泉が出るということは、メタンガスがあるからで、鉱業税法が適用されることになった。昭和61年からは国による試掘ボーリングが行われ、結果、地下に有望な天然ガス層や石油層が広く存在していることがわかったのだ。メタンガス採取の鉱区が設定され、「北村赤川鉱山」が開鉱した。山のない北村は、じつは資源の宝庫だった。
*参考資料/北村百年史
また温泉が出るということは、メタンガスがあるからで、鉱業税法が適用されることになった。昭和61年からは国による試掘ボーリングが行われ、結果、地下に有望な天然ガス層や石油層が広く存在していることがわかったのだ。メタンガス採取の鉱区が設定され、「北村赤川鉱山」が開鉱した。山のない北村は、じつは資源の宝庫だった。
*参考資料/北村百年史
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大好評の無料の足湯(岩見沢市北村蔵)
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温泉近くにはヘラブナが棲み、ハスの花も咲く沼が点在する