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43 巴農場捷水路【札幌開発建設部】治水100年

石狩川治水に係わる主な事業

43 巴農場捷水路

2区で最初に通水した捷水路

石狩川の捷水路事業は「河口~対雁間」の1区につづいて、「対雁~滝川間」が行われる計画だったが、費用が莫大になることから、「対雁~美唄川合流点」を2区として実施することになった。明治37年以来の被害になった昭和7年洪水を契機に、昭和9年から工事に着手、北村・新篠津・月形に工場が置かれた。
巴農場捷水路1,500mの掘削には、浚渫船・石狩号が使用された。昭和12年からは最新鋭の北海号が就業し、浚渫の戦列に加わり、能力は10数倍にアップして昭和13年に通水した。通水式には、歴史的な瞬間を見ようと、両岸は黒山の人だかりだったという。通水後の捷水路は安定していて、他の捷水路のように川岸の決壊を防止する護岸工事も行われなかった。それは川岸の土壌が、シルト質という侵食しづらい土質のためだ。
なお名称の「巴農場」とは、れっきとした地名だ。「三つ巴の地主がいたから」「地域の形から」など巴にまつわる由来は諸説あり、昭和の初期までこう呼ばれていたという。残された旧川(巴農場河跡湖)は、川と森に囲まれた「白鳥の里」として知られている。
  • 残された河跡湖に白鳥などが飛来するという 残された河跡湖に白鳥などが飛来するという

    (石狩川開発建設部蔵)

明治43年頃
  • 巴農場捷水路を浚渫中の北海号 巴農場捷水路を浚渫中の北海号

    (石狩川治水史より)

所在地
  • 江別市豊幌付近 江別市豊幌付近

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