71 蛸の首捷水路【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
71 蛸の首捷水路
特別な事情で緊急的に着工された
蛸の首捷水路とその下流に位置する池の前捷水路は、特殊な事情があって、石狩川捷水路事業3区(月形~深川間)の改修計画がまだ調査中の段階で施工された。
昭和10年、蛸の首の上流左岸・江部乙地区(滝川市)の石狩川沿岸に道路兼用の堤防が設けられた。まちが自衛のために施工した画期的な事業だったが、一方でこの築堤の建設で無防備な下流側が洪水の危険にさらされることになるのだ。このため下流の池の前一帯に防水堤を施工することを条件に、道費と町費による新十津川町災害防止工事として、蛸の首の切替工事が進められることになった。
捷水路650mの掘削は、昭和13年に完了し、14年に通水した。石狩川治水費による計画的な施工ではなかったが、通水の効果はとても高く、つぎの池の前捷水路の切り替えの要望が高まったほどだった。昭和14年といえば、石狩川捷水路事業2区(対雁~月形間)の捷水路が完成していない時期だ。緊急的に行われたまれな工事だったが、その背景には繰り返される災害に疲労こんぱいする地域の、治水への強い熱望があった。
昭和10年、蛸の首の上流左岸・江部乙地区(滝川市)の石狩川沿岸に道路兼用の堤防が設けられた。まちが自衛のために施工した画期的な事業だったが、一方でこの築堤の建設で無防備な下流側が洪水の危険にさらされることになるのだ。このため下流の池の前一帯に防水堤を施工することを条件に、道費と町費による新十津川町災害防止工事として、蛸の首の切替工事が進められることになった。
捷水路650mの掘削は、昭和13年に完了し、14年に通水した。石狩川治水費による計画的な施工ではなかったが、通水の効果はとても高く、つぎの池の前捷水路の切り替えの要望が高まったほどだった。昭和14年といえば、石狩川捷水路事業2区(対雁~月形間)の捷水路が完成していない時期だ。緊急的に行われたまれな工事だったが、その背景には繰り返される災害に疲労こんぱいする地域の、治水への強い熱望があった。
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左岸には石狩川に並走するように自転車専用道路が延びる
(石狩川開発建設部蔵)
明治43年頃
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昭和17年、戦時中の滝川中学の夏期実習
(石狩川治水史)
所在地
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滝川市西滝川周辺