現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 河川計画課
  3. 札幌開発建設部 治水事業
  4. 【札幌開発建設部】石狩川治水100年
  5. 【札幌開発建設部】治水100年
  6. 開拓初期:空知川流域-土地利用1(農業・市街地)【札幌開発建設部】治水100年

開拓初期:空知川流域-土地利用1(農業・市街地)【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 空知川流域 土地利用

  • タイトル
  • 黎明期(明治43年頃)の空知川流域の土地利用 黎明期(明治43年頃)の空知川流域の土地利用

〈開拓初期の農業の状況〉

滝川は奈良県吉野郡からの十津川団体の移住が農業のはじまりといわれ、明治25年頃から屯田兵村で水稲が試作されるなど、空知川流域の各まちで水稲の試作が盛んに行われた。十津川団体が拓いた新十津川は、明治40年から土功組合が設立され(上徳富土功組合、下徳富土功組合)、造田が進んだ。一方、畑作や水田に適さない土地では果樹栽培が指導され、なかでもリンゴは特産品になる。明治24年に滝川の屯田兵村で、33年には砂川でも植樹され、滝川と砂川は仁木や余市と並ぶ北海道のリンゴ産地と呼ばれた。その後、病害虫の発生で廃園が続出したが、江部乙地区は栽培をつづけ、昭和11年には天皇陛下に献上した歴史を誇る。数は減少したが、江部乙地区の丘陵地には開拓期からつづくリンゴ園が今も広がっている。

現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 河川計画課
  3. 札幌開発建設部 治水事業
  4. 【札幌開発建設部】石狩川治水100年
  5. 【札幌開発建設部】治水100年
  6. 開拓初期:空知川流域-土地利用1(農業・市街地)【札幌開発建設部】治水100年