明治43年頃:雨竜川流域-土地利用1【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 雨竜川流域 土地利用(農業・市街地)
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展開期(大正7~13年)の雨竜川流域の土地利用
〈この時代の農業の状況〉
急速に拡がった雨竜川流域の水田は戦争で減少したものの、戦後に回復し、雨竜川の治水も進み、昭和30年代後半には戦前を上回るほど水田化した。昭和30年代の米価は、ほかの作物と比べて圧倒的に高い水準で、水田の拡大が短期間に集中的に行われた大きな要因になった。深川では多度志地区のような中山間部も造田された。
水田化のため、えん堤やかんがい溝など水利施設の整備が盛んに行われ、農業の基盤整備に重点が置かれた。
水田化のため、えん堤やかんがい溝など水利施設の整備が盛んに行われ、農業の基盤整備に重点が置かれた。