明治43年頃:石狩川右岸流域-治水事業【札幌開発建設部】治水100年
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明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 石狩川右岸流域 治水事業
石狩川の捷水路事業
石狩川の捷水路事業最下流の生振捷水路から上流にむかって、石狩川の捷水路工事が行われた。
石狩川捷水路の着工年と通水年
1 |
生 振 |
(大正7年着工・昭和6年通水) |
2 |
当 別 |
(大正13年着工・昭和8年通水) |
3 |
篠路第2 |
(大正8年着工・大正10年通水) |
4 |
篠路第1 |
(大正11年着工・大正12年通水) |
5 |
対 雁 |
(大正12年着工・昭和8年通水) |
6 |
巴農場 |
(昭和10年着工・昭和13年通水) |
7 |
砂 浜 |
(昭和9年着工・昭和13年通水) |
8 |
下達布 |
(昭和9年着工・昭和14年通水) |
9 |
幌達布 |
(昭和12年着工・昭和17年通水) |
10 |
宍 栗 |
(昭和12年着工・昭和17年通水) |
11 |
豊ヶ丘 |
(昭和9年着工・昭和16年通水) |
12 |
上新篠津 |
(昭和15年着工・昭和18年通水) |
13 |
狐 森 |
(昭和15年着工・昭和24年通水) |
14 |
川 上 |
(昭和12年着工・昭和24年通水) |
15 |
枯 木 |
(昭和14年着工・昭和15年通水) |
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16 |
大 曲 |
(昭和16年着工・昭和30年通水) |
17 |
札比内 |
(昭和14年着工・昭和31年通水) |
18 |
砂 川 |
(昭和39年着工・昭和44年通水) |
19 |
アイヌ地 |
(昭和16年着工・昭和26年通水) |
20 |
菊水町 |
(昭和17年着工・昭和22年通水) |
21 |
池の前 |
(昭和14年着工・昭和16年通水) |
22 |
蛸の首 |
(昭和13年着工・昭和14年通水) |
23 |
江部乙第2 |
(昭和31年着工・昭和35年通水) |
24 |
六戸島 |
(昭和31年着工・昭和36年通水) |
25 |
芽 生 |
(昭和21年着工・昭和28年通水) |
26 |
稲 田 |
(昭和26年着工・昭和26年通水) |
27 |
中 島 |
(昭和28年着工・昭和30年通水) |
28 |
広里第2 |
(昭和29年着工・昭和30年通水) |
29 |
広里第3 |
(昭和26年着工・昭和28年通水) |
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暴れ川・篠津川の改修
篠津原野を曲がりくねって流れる石狩川の支川・篠津川は、石狩川が氾濫すると必ず一緒に氾濫した。
そして昭和7年、石狩川の氾濫とともに篠津川も増水して氾濫、農地のほとんどが水没した。いよいよ篠津川の改修工事の早期着工が地域の最重要課題に上げられ、沿岸住民は必死の請願活動を行い、昭和18年、四〇線南五号から四一線南七号地先まで、篠津川を石狩川へ切替る捷水路が開削された。増水時はここから石狩川へ洪水を分流させ、氾濫を防ぐ。翌年冬の水門の築堤工事は、住民が馬そりで土を運んで盛土したという。
*参考資料/新篠津村百年史