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明治43年頃:石狩川右岸流域-産業【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 石狩川右岸流域 産業

  • タイトル

〈この時代の産業の状況〉

河口の石狩では北海道最大の生産量を誇った油田の開発が進められた。北海道製麻と合併して誕生した帝国製麻の亜麻工場が、当別のビトエと月形に設立された。また石狩川の洪水や捷水路事業で誕生した河跡湖(石狩川の旧川)は、各まちでさまざまに利用されている。そのなかには淡水魚の漁や養殖も行われ、遊漁場として道内各地からたくさんの釣り客を集めている沼もある。

北海道最大の石狩油田

石狩河畔の送油塔
石狩河畔の送油塔

(石狩市蔵)

安政5年(1858年)、石狩の山中(八の沢)に油田の存在が確認され、明治44年から日本石油が本格的に油田開発をはじめた(通称・石狩鉱場)。札幌の「軽川駅(現・手稲駅)」北側に「北海道製油所」が建設され、鉱場から花畔(ばんなぐろ)、花川を経由して送油管を埋設して流送し、樽川通の方から製油所へ取り込んでいたようだ。途中の石狩川は架空線で横断していた。昭和4年に最盛期をむかえ、従業者は250人を超えた。
しかし、総埋蔵量が少ないため昭和8年に、新規ボーリングは中止に。昭和16年からの太平洋戦争時には、国策会社「帝国石油」の支援を受けたが、油田の埋蔵量は回復できず、昭和20年7月20日には連合軍からの空爆で、石油タンク7基と工場を焼失した。
そして昭和35年、58年間にわたる油田の歴史は閉じられた。
*参考資料/石狩市・石狩ファイル、札幌市手稲区役所・手稲のはなし

河跡湖がワカサギ釣りの名所に

雁里沼のわかさぎ釣り、昭和53年頃
雁里沼のわかさぎ釣り、昭和53年頃

(北村蔵)

昭和16年に「枯木捷水路」が通水し、月形の雁里地区に「雁里沼」が出現した。地域では雁里沼の資源保護などを目的に、漁業権を取得して、昭和27年、「雁里淡水漁業協同組合」が北村の役場内に設立された(後に解散)。コイ、フナ、ワカサギの増養殖などの事業を行ない、今では北海道内で、コイ、フナ、ワカサギの格好の釣り場として、一年中釣り客の姿が絶えない。とくに冬はワカサギ釣りでにぎわっている。
*参考資料/月形町史

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