明治43年頃:石狩川右岸流域-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 石狩川右岸流域 土地利用(農業・市街地)
監獄のまちから純農村へ
月形は集治監の開監によって生まれたまちで、たくさんの囚人達の苦闘によって道路やかんがい溝に至るまでが整備された。しかし開拓者が住むようになってくると、皮肉にも監獄の存在はうとまれるようになったのだ。大正のはじめ頃から、「監獄の存在は子女の教育にとって好ましくない」などの理由から、「他に移してほしい」という声が中央政府にも届けられるように。こうして大正8年、39年間にわたって月形とともに生きつづけた樺戸集治監は廃監され、残務は旭川刑務所で処理されることになった。
月形では廃監と同時に転出する者が続出し、市街の真中に畑ができるというさびれ方だった。このため集治監の所有地を民間に払い下げたところ、農家の戸数は激増した。月形は新たなスタートを切った。
*参考資料/月形町史
月形では廃監と同時に転出する者が続出し、市街の真中に畑ができるというさびれ方だった。このため集治監の所有地を民間に払い下げたところ、農家の戸数は激増した。月形は新たなスタートを切った。
*参考資料/月形町史
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青山貯水池
(石狩川の碑より)