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明治43年頃:石狩川上流域-暮らし・社会【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 石狩川上流域 暮らし・社会

  • タイトル

〈この時代のおもな出来事など〉

大正13年に愛別村から上川村が独立し、昭和15年は美瑛が町制を施行した。昭和18年、東神楽村が旭川から分立し、旭川は大正11年に市制を施行、旭川市が誕生した。旭川に駐屯した第七師団は、昭和16年からの太平洋戦争では「ガダルカナル島」や沖縄戦などに出兵し、大きな悲劇に遭った。「軍都・旭川」を象徴した第七師団は、敗戦で解体された。戦後は、陸上自衛隊が駐屯し、「師団通」は平和への願いをこめて「平和通」に改められた。
美瑛の白金温泉に通じる道に「白樺街道」がある。大正15年の十勝岳噴火で流れ下った「大正泥流」の上に自然に育ったものだ。泥流は美瑛川に入り込んで、一部の田畑に氾濫した。また昭和29年、洞爺丸台風と呼ばれる風台風・台風15号が襲来し、層雲峡の自然林は大きな被害を受けた。
*参考資料/新旭川市史、美瑛町・十勝岳について

日本最北の軍用水道

レンガ造りの覆フタ付き緩速ろ過池
レンガ造りの覆フタ付き緩速ろ過池

(石狩川の碑)

第七師団が駐屯したことで、旭川の重要な施設が軍隊内に先行して整備され、大正3年には上水道が敷設された。
取水場は現在の東鷹栖浄水場に設置され、そこに設けた沈砂溝に石狩川の水をひいた。沈砂溝から揚水場まで木管で導水し、春光台の浄水場までは鋳鉄管(ちゅうてつかん)で水を揚げた。春光台の浄水場のろ過池・配水池には凍結を防ぐためレンガのフタが設けられ、壁の内面にもレンガが張られた。このろ過池は水道技術史上貴重なものとされ、昭和60年に「近代水道百選(当時の厚生省)」に選ばれている。軍用水道は終戦後、進駐軍に接収されたが、昭和23年に旭川の施設になり、現在も春光台配水場施設の一部として利用されている。
*参考資料/新旭川市史

伝説残る当麻の鍾乳洞

当麻鍾乳洞
当麻鍾乳洞

(上川総合振興局蔵・VIEW OF KAMIKAWA)

当麻の開明4区の石灰山に昭和32年、鍾乳洞が石灰採掘時に発見された。別名「蝦夷蟠龍洞」と呼ばれる「当麻鍾乳洞」は、全長135mのスケールを誇り、はるか1億5千万年前のジュラ紀から、気の遠くなるような時間をかけて、地下水の溶食作用で作り上げられた石灰洞窟だ。学術的にとても重要な鍾乳洞として知られ、昭和36年に北海道天然記念物に指定された。また、龍神が休む所という「蟠竜伝説」が地元に伝わっている。
*参考資料/当麻町・当麻鍾乳洞

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